日本を代表する文学者の三島由紀夫は1970年11月25日、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹自殺した。本書『三島由紀夫 ふたつの謎』(集英社新書)の著者・大澤真幸さん(社会学者・元京都大学教授)は、この日三島は謎とも言えるふたつの愚行を引き起こしたと指摘する。第一にクーデターのような割腹自殺を遂げたこと、第二に最後の小説、『豊饒の海』でそれまでの展開を全否定するような破壊的な結末を用意したことだ(筆を置いて編集者に最終回の原稿を渡したのが同日だった)。関連なさそうなふたつの謎には関連があるとして、大澤さんは最も初期の作品『仮面の告白』から謎の分析に取り掛かる。
三島の全作品の結末、つまり『豊饒の海』の最後の場面から遡って『仮面の告白』を読むと、単なる同性愛者の物語ではなく、女性への不可能な性愛こそが真の中心にあるのではという。そしてこれは『豊饒の海』の最終巻、第四巻『天人五衰』の結末を先取りしていると分析する。
さらに代表作『金閣寺』などを読解し、三島の小説に出てくる「火・血」というイメージに対応すべく、政治的な主張に比して過剰に見える切腹と斬首という行動が必要だった、と説明する。「肉体の華々しい破壊が、金閣を燃やす行動と同じように、その反作用によって、イデアを実体として超越的な場所に構成することになるからだ。イデアとはもちろん、この場合には、文化概念としての天皇である」と書く。
だが、「天皇」が三島にとって最初から重要だった訳ではなく、「三島が生きていた文化的・時代的なコンテクストの中で、『天皇』が、ほとんど唯一、こうした目的に活用可能な主題だったのである」と、三島の「天皇崇拝」に疑問を呈している。
もう一つの謎については、こう説明する。輪廻転生をモチーフにした長編小説『豊饒の海』では、第一巻『春の雪』の主人公、松枝清顕(大正期の貴族の息子)と第二巻『奔馬』の飯沼勲(昭和初期の右翼のテロリスト)、第三巻『暁の寺』のジン・ジャン(月光姫、シャムの王女)は、同一の魂が転生したものとして描かれている。ただ第四巻『天人五衰』の主人公は偽物だったことが後に分かる。
第一巻の主人公・清顕の親友で全巻を通じた語り部である本多繁邦が、最後の場面で、清顕と恋愛しながら出家した綾倉聡子に対面するが、清顕の存在を否定される。作品世界が全否定されるのだ。三島の分身たる本多繁邦の「元裁判官の八十歳の覗き屋」というエピソードに大澤さんは注目し、小説の自己否定、さらに「何もない」という虚無が描かれていると指摘する。そして「自衛隊の市ヶ谷駐屯地で三島がなそうとしていたことは、自らの文学が到達してしまった地点からの、全力疾走の逃避である」と結論づける。
大澤さんは多くの三島研究者が起筆時に、この結末が予定されていたと考えているのに反対する。むしろ、執筆中に無意識にこうした筋になってのでは、と推測する。創作ノートを検討し、第四巻で偽物を出した後に本物を出して終わる予定だったのが、あの日、意図しない結末を書かざるを得なくなったというのだ。
社会学者の大澤さんだが、井上隆史『三島由紀夫 幻の遺作を読む――もう一つの「豊饒の海」』、奥野健男『三島由紀夫伝説』、加藤典洋『戦後的思考』所収「天皇と戦争の死者――昭和天皇VS三島由紀夫」など、多くの先行書を論理的に読み解き、独自の見解に至る書きぶりは、実にスリリングだ。
名前とは裏腹に『豊饒の海』では、「海は涸渇し、カラカラになっている」のに対して、16歳の時に書いた最初の作品『花ざかりの森』は、「海が豊かなイメージを発散」し、しかも、よく似た結末になっているという。
最初と最後にもっとも重要な作品を書き、しかも途中膨大な数の作品を三島は書いている。三島を「大いなる虚無」の作家と呼んでみたい気がする。
本欄では西法太郎さんの三島についての研究書『死の貌』も紹介している。
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