「地上の楽園」とも称される、インドネシアのバリ島。映画『食べて、祈って、恋をして』では、ジュリア・ロバーツ演じるヒロインが運命の恋に落ちる舞台となっている。この映画を観て「バリ島に行きたい!」と熱く語るのは、アジア最大級の東洋学研究図書館・東洋文庫の学芸員、篠木由喜さんだ。
マンガが大好きな篠木さんが、バリ島を描いた作品を調べて出合ったのが、さそうあきらさんによる『バリ島物語』(双葉社)。「泣きました......。壮絶でした」とかなり衝撃を受けた様子だ。「マンガでひらく歴史の扉」第12回は、『バリ島物語』からその知られざる歴史を見てみよう。
『バリ島物語』の原作は、オーストリア出身の女性作家ヴィキイ・バウムが1937年に発表した小説。バリの美しい風土を描きながら、物語は「ププタン」という出来事へと向かっていく。
篠木さん:「ププタン」、かわいい響きですよね。でもこれ、集団自決のことなんですよ......。
時代は、オランダが現在のインドネシアにあたる地域を支配していた頃。バリ島南部には独立した王国が残っていて、人々は伝統を守り地域に根ざした暮らしを営んでいた。ところが1904年5月27日、バリ島沖でオランダ国旗をかかげた中国船が難破したところから運命が変わり始める。
篠木さん:作品中では、「一切略奪するな」という地方官の命令のもとに救助が行われたんですが、中にはずるいやつがいて、夜陰にまぎれて積み荷をひと抱えほど盗ってしまったんです。それで助けられた中国人がのちに「補填しろ」と要求するんですが、バリのバドゥン王国の王様は突き返します。
そうしたら、中国人が今度はオランダのほうに行って、さらに金額を上げて損失を報告するんです。これを受けて、オランダがバリにちょっとずつ圧をかけ始めます。賠償しろ、賠償しろ......と。でも、そんなふうに吹っかけられて応えちゃったら、バドゥン王国が異国に屈したことになってしまいますよね。王族たちはあくまで突っぱね続けます。
その結果、オランダは「武力行使しかない」となってしまって。攻め入ってみると、バリの王宮に集まっていた人たちが聖なるナイフ「クリス」を持って行進してきます。そんなもので敵うはずはないと彼らもわかっているから、実質、自決なんですよ。
「ププタン」は「終焉」を意味する言葉だ。王宮の人々は名誉ある死を遂げるため、着飾って出て行った。男性たちはナイフ片手に前線へ出て、オランダ軍に攻撃されて死んだ。女性たちは花や財宝をオランダ人に投げ与え、刺し合ったり、自分で自分を刺したりして死んでいった。
ここまでの悲劇だと暗いトーンの作品なのかと思いきや、全体的には穏やかで美しい筆致だ。人々の暮らしの様子も描かれている。
篠木さん:冒頭は戦いが終わって何十年後かのシーンから始まるんですが、そこでバリ島の空気感が描かれています。バリ島の人たちはものすごくゆったりしているんです。自転車で5、6時間くらいかけてやって来てさらに5時間待つとか、2時間くらい沈黙していても平気とか。すごいですよね。
バリ島ではバリ・ヒンドゥー教という、土着の信仰とヒンドゥー教や仏教がかけ合わさった宗教が信じられている。人々は毎朝神にお供え物をしたり、何か困ったことがあれば村の僧侶や年長者に捧げ物を持って聞きに行ったりと、信仰にしたがった地域密着の暮らしを営んでいる。作者のさそうさんは、そんなバリ島の人々をとことん無垢に描いた。
篠木さん:戦いが起こった時代の回想に入ってからも、暮らしや人間模様が描かれます。踊りの名手がいて、女の子がその名手に抱く恋や、名手と王様の友情関係もぐっとくるものがあります。バドゥン王国の人々が生きているところを丹念に描いて、でも水面下ではだんだんオランダからの圧がかけられていって、最後はみんな死んでいく、という......。
オランダはこの侵攻を諸外国から非難され、その後の統治はバリの伝統を守っていく方針となった。ププタンがあったからこそ、現在まで伝統的な暮らしが継承されているとも言える。
東洋文庫ミュージアムでは、2023年10月4日から「東南アジア ~交易と交流の海~」展が開催される。バリ島伝統の影絵人形、ワヤン・クリを描いた図録も展示される予定だ。
篠木さん:この影絵も、ププタンによって守られた文化の一つということですよね。本作を通して、バリ島の見方がすごく変わりました。こんな過去があったんだなと知るためにもおすすめの作品です。バリ島にはやっぱり行ってみたいですが......ププタン広場で泣いてしまうよ~!
「東南アジア ~交易と交流の海~」展で、篠木さんは日本と東南アジアの関わりについてのセクションを担当。意外と古くから深いつながりがあるのだという。
篠木さん:6世紀の古墳時代には、東南アジア産の香木が日本に入ってきていました。ですが、文物のやり取り以上に驚きなのは人の移動です。たとえば、遣唐使に同行して唐で出世した阿倍仲麻呂。一度日本に帰ろうとした時、船が難破してベトナムに漂着したんです。その後、唐から派遣されてハノイの長官みたいなこともやっていたんですって。
さらに、戦国時代にも東南アジアに渡った人々が。なんと、戦で負けて主君がいなくなった侍が移住していたそうだ。特に関ケ原の戦いの後は大量に流入したという。弾圧から逃れたキリシタンたちも移住し、当時アユタヤ朝だったタイには大きな日本人町ができていた。
篠木さん:当時アユタヤ朝がスペインの侵略を受けていて、日本人の侍が義勇兵になったんです。「戦国時代を切り抜けてきた人なら強かろう」みたいな感じなんですかね。山田長政という人が隊長になって、2回もスペインを破っています。強い! 長政は功績が認められて、タイの王女と結婚して高い位をもらったそうです。
江戸時代に鎖国してからは人の移動が減りますが、その直前までは意外とグローバルだったんですね。みんな、言葉の壁とか越えて生活してたんだな~。
ミュージアムでは、山田長政にまつわる資料も展示されるそうだ。東南アジア諸国の歴史は教科書ではあまり扱われていないが、日本人にとっては、かつては外国の中でもかなり身近だったようだ。ビジネスや旅行先として注目が高まりつつある今、東南アジアの歴史を知ってみてはいかがだろうか?
「東南アジア ~交易と交流の海~」展
会期:2023年10月4日(水)~2024年1月14日(日)
2023年、日本とASEAN(東南アジア諸国連合)は友好協力50周年を迎えます。東西を結ぶ海洋交易の中継地であった東南アジアでは、古くから各地の人、物、文化との交流、接触がみられました。現代の日本人にとっては、ビジネスや観光、特色ある料理のイメージが浮かびやすいかもしれません。本展では、日本にとって重要な地域でありながら、意外に知らないことが多い東南アジア諸国の歴史と魅力あふれる文化、日本との関わりなどについて、「交易」と「交流」を軸に、親しみやすい観点からご紹介します。
〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。
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