本を知る。本で知る。

「こまかすぎる解説者」増田明美さんに聞く、コミュニケーションの極意

調べて、伝えて、近づいて

 マラソン中継では、選手の人柄まで伝わる"小ネタ"で親しまれ、「こまかすぎる解説者」と人気を集める増田明美さん。スポーツジャーナリストとして、現場を駆け回る熱意の陰には、地道な練習に励む選手に寄り添い、その人らしい魅力を伝えたいという思いがある。そんな舞台裏を初めて明かした近著が『調べて、伝えて、近づいて―思いを届けるレッスン』だ。信頼関係を築き、人の心を掴んでいくにはどうすればよいのか――。
 「50歳の迷える女たちへ」シリーズ第4回は、増田さんから学ぶコミュニケーションの極意。家庭や職場など様々な人間関係に悩む人たちにも役立つヒントを伺った。

book_20230407110148.jpg
ナレーション収録中の増田明美さん

嫌われた経験から学んだこと

――増田さんが選手生活を引退し、マラソン解説でデビューされたのは1992年。それから30年を経て、この本を書かれたのはどのようなきっかけがあったのですか?

 2021年に開催された東京オリンピック、実はそこでマラソン解説の仕事にひと区切りつけようと決めました。「元ロス五輪代表」として30年近く取り組んできましたが、引退した後輩たちが増えるなか、私はもう長老なのでどこかで引いて、タスキを渡していかなければならないと。だから、この東京大会を機に世界陸上などの大舞台の解説を離れることを決め、これまでのノウハウや取材の仕方を伝えたいと思ったのです。
book_20230406173800.jpg
『調べて、伝えて、近づいて―思いを届けるレッスン』(中央公論新社)

――スポーツジャーナリストとして長く活躍されていますが、最初は苦戦されたそうですね。

 最初にいただいたのはラジオの仕事でした。『花の東京応援団』という情報バラエティ番組でパーソナリティを務めたのですが、会話のテンポをなかなか掴めず、相手の方と言葉のキャッチボールがうまくいかずに悩みました。数か月過ぎた頃、スタジオの雰囲気が変わってきたことに気づいたのです。他の番組では、収録後に一緒にお茶を飲んだり、食事をしたり、和気あいあいと過ごしているのに、私の番組のスタッフはすっと潮が引くように帰ってしまう。自分が嫌われていることを肌で感じ、ショックで寂しくて......。
 しばらくして、ようやくその理由がわかりました。選手時代は自分が成功することだけを目指し、いくら我が強くても周りはサポートしてくれました。でも、ラジオの番組はチームワークが大切で、皆で心をひとつにして一緒に作りあげていくもの。私は自分のことしか考えられず、良いムードづくりをしようとする気配りが足りなかったのですね。

――その苦い経験を通して、増田さんが心がけたことは何ですか?

 まず相手に合わせるということ。相手の話をよく聞いて、一方的にしゃべらないように心がけました。私がおしゃべりなのはおばあちゃん譲りなのです。祖母は近所へお茶を飲みに行っても、「君江さんは人が話しているときも口がパクパク動いている」と言われるほど。昔はそんな祖母のことが、落ち着きがなくて恥ずかしかったけれど、私もどんどん似てきているようで(笑)。
 もうひとつ、お世話になった方に手紙を書くことも心がけています。ラジオ番組をやっていた頃はリスナーからファックスやお手紙をいただくことが多く、皆さんにお返事を書いていました。私も本当に自信がなかったので、聴いてくださる人たちへの感謝の気持ちを言葉で伝えられたらと。「ありがとうございます」「また聴いてくださいね」という一枚のハガキでも、心を返していく習慣ができたことで自分自身も変わっていきましたね。

聞き上手な永六輔さんに憧れて

――増田さんと言えば「こまかすぎる解説」が注目されています。話を引き出すコツはありますか?

 ひとつは、相手に関心を寄せることだと思います。取材の前には、初対面でもお話しできるように出身地や家族構成、得意なものなど、相手のことを入念に調べていくと驚かれます。選手を取材するときは、監督やコーチにもいろいろ聞いておきます。「お父さんがサッカーをやっていた」とか、「彼女はすごくプリンが好きなんだ」とか。それは選手だけでなく、テレビのバラエティ番組などに出るときも同じで、ゲストの人たちのことは全員調べていきます。日常の会話でも、自分に関心を持ってもらえると嬉しいですよね。

――ほかに、コミュニケーションで大切にしていることはありますか?

 私の人生の師である永六輔さんから学んだのは、「聞き上手」になるということ。スタッフと一緒にお食事をしたときに、まずびっくりしました。永さんは、ラジオでは切れ間なくおしゃべりされるので、ご自分がずっと話す方かと思ったら、皆の話を聞いているんです。時おり短い質問をして突っ込むと、話がまたふくらんで楽しくなっていく。「お見事!」と感心しました。それができるのは、自分の中に引き出しがたくさんあるからでしょう。私もいろんな人生経験を積み重ねる中で、もっと豊かな引き出しを作ろうと思いながら生きています。

「親分・子分」の関係で夫婦円満

――増田さんは読売新聞の「人生案内」で回答者をされていますね。例えば、40代、50代になると、職場では中間的な立場で部下との関わりに悩む声をよく聞きますが......。

 職場の人間関係がうまくいかないという相談は本当に多いですよ。回答するときに参考になっているのが、女子マラソンで「名伯楽」といわれた小出義雄監督です。有森裕子さん、高橋尚子さんなど世界のメダリストを育てた小出さんには、人の育て方を学びました。良いところを上手に褒めて伸ばすのがすごくうまいのです。褒めるときは、皆の前で褒める。反対に叱るときは、誰もいないところに呼んで、一対一で伝えていました。
 さらに感心したのは、大事なポイント練習中での声のかけ方です。40キロ走のときは「いいね、最高!」「その調子!」と声をかけながら、車で伴走していきます。本番中も「いいね」「完璧」とか、短くてポジティブな言葉をかける。その間、選手の走りをよく見ているので、走り終わった後に具体的に褒めたり、指摘したりすることができるのだと。小出さんのすごいところは観察力ですね。私も解説の現場では後輩と一緒になるので、上手に褒めることやしっかり観てアドバイスできるように努めています。
book_20230406173704.jpg
さっそうと走る増田さん。

――大阪芸術大学で10代、20代の学生たちを教える中で、若い世代とのコミュニケーションの取り方に苦労されることはありませんか?

 私も苦戦していますよ。今日は良い授業ができたなと思って、「何か、質問はある?」と聞いても、誰も手をあげませんね。皆、大人しくて静かなのです。それでも本当に質問や相談があるときは、授業が終わった後に寄ってきます。一対一で話をしてみると、頭の中ではいろんなことを考えているんですね。
 苦戦しながらも気づいたのは、こちらが偉そうにしていてはダメだということ。上から目線で話しかけることは禁物です。若い子はけっこうファションセンスも見ていて、「先生、今日のコーディネートはいいよ」とか、適当な服を着ていくとチェックされたりして(笑)。関心がなさそうにしていても相手をちゃんと見ていることを理解して、こちらも一人ひとりの性格に合わせて接するようにしています。

――「人生案内」では、夫婦間のコミュニケーションに関する相談もありますね。

 周りでもよく聞くのは、「夫がしゃべらない」という悩み。夫婦の会話がないと、奥さんが困っているようです。我が家はビジネスパートナーでもあるので何でも話しますが、夫の我慢あってのこと(笑)。私は外面がいいから、家の中では不満をバンバンぶつけてしまいがち。それでも受けとめてくれるので、「申し訳ない」と思いながらも感謝しています。うちの場合は、私が"親分肌"で夫が"子分肌"だから、うまくいっているのかもしれません。
 長年一緒に暮らしていると、お互いのことに無関心になりがちですね。私は仕事が終わった後は「お疲れさまね」と声をかけ、家の中でも「ユウちゃんのお陰だよ」とよく褒めるんです。夫婦であっても、相手をちゃんと褒めることが大事だと思っています。

――親子関係においても、親が高齢になるほど、会話の難しさを感じることが増えるような気がしますね。

 私も母の介護が始まってからは実家へ帰る機会が増え、最初は父と喧嘩ばかりしていました。父が家事をしていると、どうしても家の中が汚いことが気になってしまう。父は負けずに「俺はきれい好きだ」というので、私もつい反論してしまうのです。するとある時、ベッドで寝たきりの母に手招きされて、頭をゴンと叩かれました。母も不穏な空気を察知したのでしょう。母に寄り添って頑張っているのは父だから、私はもっと大人にならなければと反省。もう汚いというのはやめようと決め、実家へ行く度に水仙や梅などの花が飾ってあるので、「お父ちゃん、すごいね。老舗旅館みたいだよ!」とひたすら褒める。すると、父も嬉しそうに頷いて、良い顔をしているんですよね。

失ったものを数えるな。

――増田さんは、50代になった頃はどんな悩みを抱えていましたか?

 私にとっては、いろんな意味で脂が乗ってきている実感がありました。今まで積み重ねてきた経験があり、困難を乗り越えてきた知恵も身について、良い感じになってくるのが50代ですよね。40代のときは会議の席でもちょっと上ずっていたけれど、50代になってからは、心から自信を持って話せるようになりました。だから、皆さんも家庭や仕事の場で、それまで築きあげてきたことをどんどん活かしてほしいと思います。

――マラソン解説にひと区切りをつけたことで、今後はまた新たなことにチャレンジされるのでしょうか。

 今、私がやりがいを感じているのは、パラスポーツを応援していくことです。パラの現場を取材して学ぶのは、共生社会や多様性のあり方です。様々な困難を乗り越えてきた選手たちは人間的に魅力があります。多くのパラの選手が大事にしているのは、「失ったものを数えるな。残されたものを最大限に活かせ」ということ。「パラリンピックの父と呼ばれるルートヴィヒ・グットマン博士の言葉で、本当に勇気をもらえますね。
 では、私に何ができるかなと考えたとき、尊敬する永六輔さんのようになりたいのです。永さんは会いたい人がいれば、どんなに遠くても会いに行っていました。そこで聞いたことや五感で感じたことを、ラジオで面白く伝えるのが、永さんの素敵なところ。引き出しの量はとても及ばないけれど、私もやっぱりしゃべることがいちばん好き(笑)。自分が伝えたいことを、ラジオを通して伝えていくことで、人を幸せにしたい、元気のない人を励ましたいと思っています。

■増田明美さんプロフィール
ますだ・あけみ/1964年千葉県生まれ。私立成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。82年にマラソンで日本新記録を作り、84年のロス五輪ではメダルを期待されたが、無念の途中棄権。13年間の競技生活で、日本記録を12回、世界記録を2回更新した。92年に引退後は、スポーツジャーナリストとして、各紙誌での執筆、マラソン・駅伝中継の解説に携わるほか、ナレーションなどで幅広く活躍。2017年にはNHK朝ドラ『ひよっこ』の語りを務めた。日本パラ陸上競技連盟会長、全国高等学校体育連盟理事、日本陸上競技連盟評議員、日本パラスポーツ協会理事など公職多数。大阪芸術大学教授。
愛読書は吉川英治著『宮本武蔵』、永六輔著『あの町この人その言葉』、月刊『致知』ほか。


取材・文:歌代幸子/ノンフィクションライター

協力:中央公論新社


  • 書名 調べて、伝えて、近づいて
  • サブタイトル思いを届けるレッスン
  • 監修・編集・著者名増田明美 著
  • 出版社名中央公論新社
  • 出版年月日2022年11月 8日
  • 定価924円(税込)
  • 判型・ページ数新書版・224ページ
  • ISBN9784121507761

オンライン書店

インタビューの一覧

一覧をみる

書籍アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

漫画アクセスランキング

DAILY
WEEKLY
もっと見る

当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!

広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?