家事や家族の世話を日常的に行っている子どものことを「ヤングケアラー」という。「子どもとしての時間」と引き換えにそうした時間を過ごしていると、学業、就職、友人関係に影響が出る可能性があるとされている。
本書『48歳で認知症になった母』(KADOKAWA)は、小学5年生にしてヤングケアラーになった美齊津康弘(みさいづ やすひろ)さんの実体験をつづったコミックエッセイ。BOOKウォッチでは、「第1章 変わっていくお母さん」を4回に分けてお届けしてきた。
美齊津さんのお母さんのように、65歳未満で発症した認知症を「若年性認知症」という。40代で認知症? とドキッとしたが、平均発症年齢は51歳、患者数は全国で4万人弱と推計されている。
本書はあたたかいタッチの漫画を通して、ヤングケアラーと若年性認知症のあまり知られていない現実を伝えている。
「母を思い出すと 30年以上経った今も心が 痛みます」
「これは48歳で認知症を発症した母と 小学5年から介護が始まった僕のお話です」
僕が小学5年生の時、お母さんに異変が起こった。鏡に向かってブツブツと独り言を言い始めたのだ。後ろからそーっと近づくと、振り向いたお母さんは僕が見えているのかすらわからない目をしていた。
もともと学業もスポーツも万能で、優しくて明るくて、自慢のお母さんだった。年の離れたお姉ちゃんは遠方に嫁ぎ、高校生のお兄ちゃんは会話が少なく、お父さんは仕事で忙しい。末っ子の僕はお母さんとの時間が一番多く、一番大好きだった。そんな幸せな毎日が続くはずだった。
ある日、僕が学校から帰ると、長年お父さんの会社の経理をしていたお母さんが突然辞めさせられていた。その時点で病が進行していたのだろう。そんなことを思ってもみなかった当時の僕は、お母さんとの時間が増えてただただ嬉しかった。
この頃からお母さんは、鏡に話しかけ、料理をしようとしてボヤ騒ぎを起こし、何日も同じ服を着て、入浴を嫌がるようになる。欠けていく自分に戸惑いながら、日常を必死で守ろうとしていた。この先お母さんをどう扱っていいのか、誰にもわからなかった。
お母さんの見守りをしていたのは僕だった。僕が中学生になって帰りが遅くなると、生活はますます荒れていった。身内を頼って家族で叔母の家に引っ越し、僕は日中安心して学校へ通えるようになった。一方で、お母さんの病状は急速に進行していく。
ある時から、昔の家までの徘徊が始まった。「この家に あの時間に戻りたい...」という気持ちが、お母さんの中にあったのだろう。しかし、迎えにきた僕に支離滅裂なことを言っては、勝手に怒って泣く。もう訳がわからなかった。
「夢であって欲しい」「この現実から逃げたい」「もうお母さんなんか...いなくなっちゃえ!」――。僕の心は限界寸前だった。それからしばらくして、僕の介護の日々は終わりを迎える。
「当時僕が一番辛かったのは 周りから孤立していたことでした」――。数年前、「ヤングケアラー」という言葉を初めて耳にした美齊津さんは、自分の子ども時代にピッタリ当てはまることに驚いたという。
「どうか想像してみてください。ヤングケアラーとして子ども時代を過ごす自分の姿を、そしてその時の気持ちを。それは『現実だったかもしれないもう一人のあなたの姿』です。まずは自分ごととして共感することから始めましょう」
ここに描かれているような衝撃的な出来事が、いつ自分の身に起こるかわからない。お母さんが認知症になってからの時間を、僕たち家族が、お母さんが、どんな思いで過ごしていたのか。痛みが手にとるように伝わってきて、涙なしには読めない。「30年間誰にも言えなかった僕の家族の物語」が、1人でも多くの人に届いてほしい。
■美齊津康弘さんプロフィール
1973年福井県出身。防衛大学卒業後、実業団のアメリカンフットボール選手として活躍し、日本一となる。幼少期ヤングケアラーとして過ごした経験をきっかけに、選手引退後は介護の道へ進む。現在はケアマネジャーとして働きながら、自ら開発したWEBシステム「えんじょるの」を使って、買い物弱者問題の解決に取り組んでいる。
■吉田美紀子さんプロフィール
山形県出身。20代からマンガ家として主に4コマ誌で活躍。セカンドキャリアで介護の仕事を始める。著作に『40代女性マンガ家が訪問介護ヘルパーになったら』(双葉社)、『消えていく家族の顔』(竹書房)があり、SNSでも発信をしている。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?