近所の自転車屋の店先にいつも腰かけている、ジャージ姿の男性二人。客がタイヤの空気を入れに来ると、「入れてやるよ」と言って(お金は客が払うのだが)、店のコイン式空気入れを使って空気を入れてくれる。
ところが、この二人はこの自転車屋で働いているわけではない。毎日勝手にやってきて、勝手に客のタイヤに空気を入れているのだ。筆者の浅生鴨さんは、彼らを「勝手の人」と呼ぶ。
このような、ちょっとおかしな、しかし憎めない、誰の身の回りにもいる気がする人々を描いた浅生さんのエッセイ集が、『あざらしのひと』(ネコノス)だ。
エッセイには、多種多様な人々が登場する。「打ち上げで何を食べたい?」と聞いておきながら、本人のなかではもう答えが決まっている「先に決める人」。自分が独り言を声に出していることに気づかず、店員に返事をされてびっくりする「漏れる人」。オンライン会議でまったく存在感がなく、途中でいなくなってもバレない「忍者の人」。あなたの周りにも一人や二人、こんな人がいるだろう。
では、本のタイトルである「あざらしのひと」とはどういう人なのか。舞台はコンビニだ。コンビニの若い店員の言葉というのは、「いらっしゃいませ」が「ラッシャセ」、「ありがとうございました」が「アッシター」のように、独特に略され、はじめは何と言っているのかわからないものである。
ある日、浅生さんはコンビニに入るなり、「あざらし」と言われた。言ったのは若い女性の店員で、他の国から日本へやってきてアルバイトをしているのだと思われる。彼女はニコニコと笑って「あざらし」と言う。何の省略形なのか、まったくわからない。
浅生さんは、日常生活で出会うちょっとおかしな彼らを、決して否定することがない。むしろ、こんなふうに肯定的に語っている。
勝手の人は何も気負わない。(「勝手の人」)
けれども、漏れる人から漏れ出す言葉は本音だ。そこには嘘がない。(「漏れる人」)
決まり切ったマニュアルの言葉だけを口にするのではなく、自分でもお客さんに挨拶をしたいと、きっと先輩たちの話し方を見よう見まねで真似したのだろう。そして、うっかり何かが混ざったまま「あざらし」という言葉を覚えたのだろう。(「あざらしのひと」)
クスッと笑えて、いとおしくなる。浅生さんの目で身の回りを見ると、きっとそんな「〇〇の人」だらけだ。あなたの仕事場にも、街なかにも、家族にも。『あざらしのひと』を読んでいると、この世のなかって案外悪くないな、なんていう気分になるのではないだろうか。
なお、エッセイとエッセイの間には、「イブプロフェンには雄と雌があるが、そのほとんどは雌であり、雄のイブプロフェンは専門家の間ではアダムプロフェンと呼ばれている」などという、ちょっと様子のおかしなコラムが挟まっていることもある。浅生さんの軽妙な語り口、クセになること請け合いだ。
[目次]
勝手の人
先に決める人
ニューヨーカー
ノッてる人
漏れる人
無名の人
雑談の人
のほう者
ギオン者
たんと者
エコーの人
忍者の人
あざらしのひと
好きに使う人
未来の人
バットマン
そっと置く人
受け継ぐ人
褒める人
エキサイター
おさない人
ミス・ダブル
激しくブレる人
マネーマン
のほほんの人
ロンリー・ボーイ
手ぶらの人
エレガントの人
飛ばす人
観察者
■浅生 鴨(あそう・かも)さんプロフィール
1971年、神戸市生まれ。たいていのことは苦手。2013年に『群像』(講談社)で発表した初の短編小説『エビくん』が高い評価を受けたことで、本格的に執筆を開始。主な著書に、『中の人などいない』『アグニオン』『二・二六』(新潮社)、『猫たちの色メガネ』(KADOKAWA)、『どこでもない場所』(左右社)、『だから僕は、ググらない』(大和出版)、『雑文御免』『うっかり失敬』(ネコノス)、自身が編集長を努める同人誌『異人と同人』『雨は五分後にやんで』などがある。テレビドラマ化もされた『伴走者』(講談社)は第35回織田作之助賞候補となった。座右の銘は「棚からぼた餅」。
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