日常生活ではあまり意識することはありませんが、日本語は本来とても情緒的で美しい言語です。しかし、私たちの会話や文章からその美しさを感じることがあるかと聞かれたら、今やほとんどないと答えるほかないでしょう。
多くの日本人が忘れて日本語だけが持つ言葉の響きや輝き、やさしさ。『日本語の練習問題』(サンマーク出版/刊)を読むとそれらを思い出すことができるかもしれません。
この本では、日本文学の傑作・名作が練習問題の題材として自在に引用され、その問題を考え、解説を読むことで、日本語本来の美しさに触れることができます。
この本はなぜこのタイミングで企画され、どんな狙いで書き上げられたのか。
著者の出口汪さんにお話をうかがいました。
―本書からまず読み取れるのは、出口さんが「日本語の乱れ」についてかなり危機感を抱いていることです。そこでお聞きしたいのですが、出口さんは普段どんな場面で日本語が乱れていると感じますか?
出口:この本のあとがきでも書いたのですが、僕の子どもは小さい時から言葉の習得が著しく遅れていました。学校に行くようになると、日常生活には困らないくらいの言語能力は身についたのですが、中学生くらいになると学校で悪い言葉、乱暴で粗雑な言葉を覚えてくるようになったのです。
具体的には“ムカつく”とか“うざい”などですね。そういう言葉を多用するんですけど、こちらが何にムカついているのかを聞いても答えられない。
もちろん、僕が何かを聞いても、それに対して自分の考えや気持ちを説明できないので、会話が成りたたない。それが一つ目ですね。
もう一つ、だいぶ前になりますけど、渋谷のカリスマギャルたちの言葉が日本中で流行ったことがあって、その時期にニュース番組の企画で彼女たちに話を聞く機会があったんです。その時、ギャル4、5人と話をしたのですが、何を言っているかさっぱりわからなかったんです。
―今おっしゃったようなエピソードは、出口さんが今回の本を書く動機にもなったのでしょうか。
出口:そうですね。そのギャルの取材の時に、僕は初めて“アゲアゲ”という言葉を聞きました。どういう意味か尋ねても、普段その言葉を使っている彼女たち自身にもわからないんです。すべて“気分”という言い方で片づけてしまって、むしろ“それで通じるのが仲間”という感覚でした。
ただ、そうやって“気分”を共有することで互いにわかりあっているような雰囲気を出していても、よくよく話を聞いてみると、みんな孤独で、深いところで仲間のことをわかっていないから信用もしていない。彼女たち自身も、今のコミュニケーションのやり方が社会に出てから通用しないことをよくわかっていました。本当は不安で仕方がない。だから今だけ気分を盛り上げているんだ、と。
その話を聞いた時に、これは彼女たちだけの問題でなく、もっと普遍的で深刻な問題なんじゃないかと思ったんです。
たとえば、僕は予備校で毎年18歳の子を教えているのですが、今の世代の子というのはほとんど「名作」と呼ばれる文学に触れていません。僕らが高校生の時は太宰治や夏目漱石を読んでいないと会話ができないほどだったのに、ふと気がつくとそれらに誰も関心を持たなくなっていました。
彼らを見ていると言葉の使い方が粗雑で、日本語本来の美しさや深みというものが全く理解できない世代になっていると感じます。
これは子どもだけでなく大人も一緒で、誰もが日本語のすばらしさに気づかず、言葉をただの情報伝達の道具としか使えなくなっている。これは日本人全体の言葉の危機であって、それはそのまま日本の危機につながると思いました。
古くから日本人は、言葉を単なる道具ではなく魂や神が宿るものとして扱って、独自の言語世界を構築してきました。それをもう一度取り戻してほしいと感じたのがこの本を書いた最初の動機です。
―今おっしゃった「日本語の美しさや深み」ということについて、日本語のどんな点にそれを感じますか?
出口:これは一言でいえることではないのですが、「敬語」は一例として挙げられると思います。
これほどまで敬語が発達した言語というのは日本語だけです。敬語が発達した理由を「日本人は上下関係に厳しいから」だと思っている人が多いのですが、外国にも上下関係はあるわけですから、それだけでは説明がつきません。
自己主張だけでなく、時には相手を尊重したり、相手を立てたりということまで考えて使うのが敬語です。日本語には、そこまで考えられる日本人の精神性が表れていると思いますね。
―相手を上げたり、自分を下げたり、うまくできていますよね。
出口:そうですね。複数の人間関係を念頭に置いた言葉づかいだと思います。一方には尊敬語を使って、もう片方には謙譲語でへりくだるなど、すごく高度なことをやっていますよね。
それを使いこなせる日本人がいかに深い文化と精神性を持っているか。敬語について考えると改めて日本人のすばらしさがわかるはずです。
この本でも敬語を取り上げているのですが、そのことに気づいてもらうだけでも読む価値があると思います。
(後編につづく)
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