2年前、テレビ東京系の伝説の番組「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を惜しまれながら引退した漫画家の蛭子能収(えびす・よしかず)さん。いつの間にか太川陽介さんとのコンビを復活させ、新しいバス旅の番組に登場していた。
嫌なものは嫌と、決して自分の主張を曲げない。いつもマイペースの蛭子さんを「現代の自由人」と慕うファンは少なくない。そんな蛭子さんが自らの人生観を綴ったのが、本書『死にたくない』(角川新書)である。
執筆時点で71歳だった蛭子さん。テレビのレギュラー出演のほか、漫画やイラストの連載を6つ抱えているという。とにかく働いていれば調子が出るという蛭子さんだが、「ただお金がほしいから働いてきただけ」と冒頭に書いている。
お金にこだわるのは、お金があれば自由が得られる。自由が得られると、人と争わずに生きていくことができる。また、人と争わなければ、人に殺されることもないはず。ひとことでいえば、「死にたくない」と思って生きてきただけだという。
本書は編集者に「人生100年時代」をテーマに執筆を依頼されたそうだ。まじめなことを書いているが、その中に蛭子さんらしいエピソードも紛れているので、紹介しよう。
人の葬式にまったく行かない代わりに、自分の葬式にも来てもらわなくていいと考えているそうだ。なぜなら、葬式に行くと、葬儀の最中に必ず笑ってしまうからだ。子どもの頃からの悪いクセで、笑い出したら止まらなくなる。全員が神妙な顔をしていると葬式全体が"喜劇"のように見えて、がまんすればするほど、笑いが攻めたててくるという。だから、なるべく葬式には近づかないようにしている。
日本人男性の平均寿命まで、あと10年余となったことを知り、「漫画をもっとしっかり描けばよかった」と後悔しているという。「ヘタウマ」ブームに乗ってデビューしたが、自分のマンガはただの「ヘタ」と書いている。
漫画家、タレントとしての人生について、こう述懐している。ノーギャラの「ガロ」で描いたのは、いずれお金がもらえる雑誌から声がかかることを期待してのこと。「いまは損して得を取ろう」みたいな気持ちがあったという。
その後、テレビに出るようになるとギャラの次元がまったく違うので、「こりゃいいや」とタレントの仕事を引き受けた。最初は漫画の宣伝になると思ったのに、漫画が売れなくなった。蛭子さんの作風はけっこう残酷で、エログロが多い。作風とテレビに映る本人のイメージが合わず、逆効果になったのだ。
漫画家になるまでのさまざまなアルバイトや仕事にもふれている。長崎の高校生のときの「バスの車掌」が最初の仕事だ。帰りは終点の車庫から家まで歩いて帰る。いまも仕事でバスに乗るのは不思議な気持ちだという。
上京後は渋谷の看板屋で働いた後は、ちり紙交換の仕事を1年半。その後はダスキンの営業を7年。「仕事を辞めても、すぐに次の仕事を探してまた働く」ということを繰り返してきた。
だから、高齢者にも「どんな仕事でもいいから、働けるうちは働いたほうがいいですよ」とアドバイスを送りたくなるという。好きな仕事とか、仕事の意味とか考えず、お金をもらうためにがんばるのみ。それで、それなりに幸せな人生を送ってきたと。
終活についてもいろいろ書いているが、自分を低目、低目に見積もっておくことが大事では、という。上から目線でプライドの高い高齢者ほど周囲に疎まれ、失敗しているのでは、と指摘する。
その点、蛭子さんはプライドを持ったことがない。漫画に対する野心が減るにつれ、テレビの仕事が増えた。プライドをあっさり捨て去るだけで、「より豊かな人生」という果実を得られる、と説いている。
最後に、漫画を描くのはストレスだし、バス旅の仕事はつらいことだらけだ、と書いている。それでもがっちり働いて稼ぐつもりだ、と結んでいる。
ちょうど今日(2019年10月30日)夜6時55分から、テレビ東京系で「太川蛭子のバス旅2019 静岡県・三保の松原~山梨県・清里」が放送される。どんな泣き言を言いながら仕事をするのか注目したい。
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