料理の名人と言われる人は、なるほど、と思うような出自の人が多い。本書『おいしいとはどういうことか』 (幻冬舎新書)の著者、中東久雄さんもその一人だ。どんな出自かは後述するとして、中東さんは京都で最も予約が取りにくいという日本料理店「草喰なかひがし」の店主だ。
そう聞いただけで、敷居が高そうで何となく近寄りがたい感じがするが、本書では日本の食文化の神髄を自身の経験に照らし合わせながら実にやさしく、分かりやすく語っている。このひとだからこそ、この店が可能になったのだな、ということが素直に納得できるのだ。
本書に書いてあるわけではないが、まずは「名人」と言われる料理人の何人かを振り返ってみよう。
日本料理の名料亭「吉兆」の創業者、湯木貞一さん(1901~97)の実家は鰻料亭。自身も若くして板前の修業を始めた。日本のフランス料理界に君臨した帝国ホテルの村上信夫さん(1921~2005)の父は、淡路島の網元の息子。東京で食堂を営み、母は埼玉県の農家の娘だった。やはりフランス料理の三國清三さん(1954~ )の父は漁師、母は農家の生まれ。中学校卒業後、米店に住み込みで働きながら夜間の調理師学校に通った。
こうした名人と言われる料理人に共通するのは、子どもの頃から新鮮な「本物」に触れる機会があったに違いないということだ。おそらくは味覚も磨かれていただろうことが推測できる。
本書の著者、中東さんも「本物」に子どもの頃から接していた1人だ。しかし、生まれは京都の「花背」というところ。ご本人も書いているように「山深い里」だ。少なくとも海の幸には縁がない。
鞍馬天狗で知られる鞍馬山から鞍馬峠を北へと分け入り、花背峠を越えたあたり。京都のはずれの「大原三千院」よりもさらにかなり奥にある。農業というより、林業が中心の地区。そこの古い寺で宿坊を営んでいたのが中東さんの両親だ。
祖父は奈良の修験道の地、大峰山の出身。「修羅師」だったという。初めて聞く職種だが、修羅というのは木材や石材を運ぶソリのことで、その技術を持って花背に移り住んだそうだ。父も林業。山から山に渡ってきた「山の民」の末裔だ。
440段もの階段がある人里離れた寺の宿坊。利用するのは行者や巫女さんたちだ。そうした泊り客に素朴な手料理を出すのが母の仕事だった。山奥だから、食材のほとんどは自給自足。中東さんも母に連れられ、田んぼや畑に出かけ、小学校の高学年になるころには包丁を一人前に使えるようになっていた。
中東さんは1952年生まれ。
「私が子どもの頃までは、昔ながらの暮らしとそれほど違いませんでした。現代の生活よりも、むしろ縄文時代の人の暮らしに親近感が湧きます・・・食べ物はすべて自然の恵みであり、料理とはその自然の恵みをおいしく食べるための知恵でした・・・その知恵を私に授けてくれたのは母親です」
母は花背よりもさらに山奥の出身。もちろん料理学校で学んだり、料理屋で修業したりしたことはない。長い年月をかけて、ひょっとしたら「縄文」の頃から親から子へと受け継がれてきたのかもしれない「レシピ」を身に着けていただけだ。そして「名人」の域に達していた。
珍しいところでは「大山椒魚」の料理がある。ふだんは川底に棲んでいるが、台風の前などになると、なぜか陸に上がってくる。夜中に川に行って捕まえる。まな板の上に大山椒魚をのせて、ナタで首の皮一枚を残して頭を落とし、血を抜く。それからカボチャの葉に塩をまぶして大山椒魚を揉むと真っ白になる。さらに手を加え、薄づくりにしてポン酢で食べる。お造りだ。もちろん今は天然記念物になったから食べることができないが、中東さんは、子どもの頃から、そんな珍しい味にも触れてきた。
実家の宿坊はその後改築、14歳年長の兄が継いで「摘み草料理」の料理旅館「美山荘」と名を変えた。多くの著名人に贔屓にされている。そこで27年間勤務した中東さんは97年に独立し、銀閣寺のほとりに現在の店「草喰なかひがし」を開いた。
12席のカウンター。メインディッシュは、ごはんと目刺しだ。もちろんこれは、音楽に例えればフィナーレ。お造りもある。とくに鯉にこだわっている。それも普通の鯉ではない。
滋賀の安曇川の問屋さんで3か月間、きれいな水で鯉を飼ってもらい、だいたい一週間に一回、店に運んでもらう。週に70~80匹。それを店の地下の生け簀で生かして毎日必要な分を使う。もちろん地下水。完全に泥を吐かせているから、臭みがまったくない。
そもそも現在の場所に店を構えようと思ったのは、隣に地下水を利用している銭湯があることを知ったからだという。「草喰なかひがし」は小さな店だが、地下に地下水の生け簀があって鯉が泳いでいる。表からは見えないところにカネをかけている。中東さんのこだわりを推し量ることができる。
店ではもちろん肉も出す。牛肉は北海道の完全放牧牛。240ヘクタールの牧場で50頭を放し飼いにしている。ひと月に一頭の出荷だという。鶏は、普通のブロイラーならひよこから2か月の出荷だが、「チキンハウス中東」と名付けた鶏舎で10か月も飼っている。もちろんイノシシやシカも使うが、それらの肉類は野菜をおいしく食べるための添え物だというから驚く。
本書で紹介される料理にまつわる薀蓄は「一昔前なら話す必要もない、ほんまに当たり前のことばかり」と中東さん。だが、それを知る日本人はどんどん少なくなっている。
2012年に農林水産省料理人顕彰制度「料理マスターズ」でブロンズ賞、16年には京都和食文化賞など料理関係の受賞も多い。大原の地野菜の魅力を多くの料理人に発信し、地場の農業振興にも貢献している。
山里の谷水で育った中東さんは、カルキの匂いが気になって、水道水が飲めないという。いまや最後の縄文人の一人なのかもしれない。
関連で本欄では『ジビエの歴史』(原書房)、『家庭でつくる和食教本――いつもの料理が感動のおいしさに』(朝日新聞出版)なども紹介している。
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