「水戸黄門」の名で知られる水戸光圀だが、全国各地を漫遊した「黄門さま」は後世のフィクションである。実際は江戸から出たことはあまりなく、「大日本史」の編纂に心血を注いだ名君とされている。
『天地明察』(吉川英治文学賞新人賞受賞、本屋大賞受賞)、『光圀伝』(山田風太郎賞受賞)で、水戸光圀の新たな側面に光を当ててきた作家・冲方丁(うぶかた・とう)さんが、本書『剣樹抄』(文藝春秋)において、三たび魅力的な光圀像を描き出した。
捨て子を保護し、諜者として育てる幕府の隠密組織「拾人衆(じゅうにんしゅう)」を光圀が率いるという設定がユニークだ。三代将軍・家光が頼ることが出来たのは光圀の父、頼房しかおらず、頼房が密偵たちの組織の目付だったからだ。そこには異能の子どもたちがいる。一度見たものを正確に絵にする少年・巳助、一度聞いた声を真似ることができる少女・鳩、遠くで交わされた会話をすべて聞き覚える少年・亀一らである。
ここに加わったのが、父を旗本奴に殺されてから自我流の剣法を身につけた少年・六維了助だ。了助は、さまざまな能力に長けた仲間たちと各所に潜り込み、江戸を焼いた「明暦の大火」が幕府転覆をもくろむ者たちによる放火だったのではという疑惑を追う。
江戸城の天守閣が炎上し、江戸の町が焦土と化した明暦の大火。そこから復興する江戸を舞台にした諜報物語というストーリーだが、史実とも合う部分がある。
明暦の大火で多くの書籍・記録が焼けた。光圀はかろうじて焼け残った屋敷の片隅に「史局」を開設、修史事業を始めたという史実と照らせば、明暦の大火に対する怒りが大きかったというのもうなずける。
了助もまた大火で養い親の三吉を亡くした。もともと旗本奴に父を殺されたから、武士は嫌いだが、いま武士に世話になっているから複雑な感情がある。
江戸町民の交流の場だった湯屋、人気の相撲など、江戸の風俗を巧みに取り込みながら、物語は進む。
もともと『マルドゥック・スクランブル』などSFのシリーズと『天地明察』など時代小説を書き分けてきた冲方さんだが、本書はその時代小説の新境地を切り開いた感がある。
『天地明察』では、正確な暦をつくった天文学者のよき理解者として登場した光圀、『光圀伝』では苦悩をかかえ自らの運命を切り開いた熱き武士としての光圀、そして本書では時に自ら名前を変えて湯屋の捜査にも出入りする隠密の光圀。同じ人物をテーマに万華鏡のように異なる像を浮かび上がらせる才能に感心した。
光圀をNHKの大河ドラマにするよう水戸藩の地元・水戸市では一時、誘致運動があったそうだ。本書をきっかけにもう一度運動が盛り上がることを期待したい。小説とはいえ、こんなに多彩な貌をもつ武士はそういないだろう。
本欄では、家光の時代の秘話を『大名家の秘密』(草思社)で、光圀の意外な一面については『晩節の研究 偉人・賢人の「その後」』(幻冬舎新書)で紹介している。
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