日本から見てパレスチナはあまりに遠い。距離的に遠いだけではない。何となくおっかなくて厄介な感じがする。心理的にも遠いのだ。
本書『天井のない監獄 ガザの声を聴け! 』(集英社新書)はそのパレスチナで長年、「国連パレスチナ難民救済事業機関」(UNRWA、通称ウンルワ)の保健局長を務める医師、清田明宏さんによる体験的な現地報告だ。
どんなに状況が悪くても、今がどん底だ、と思えるなら希望がわく。ところがパレスチナの現状はそんな甘いものではない。どん底のまま際限なく沈み続けている。それが清田さんの実感だ。
UNRWAは1949年の国連総会で創設が採択され、パレスチナ難民への支援を目的に50年から活動を続けている。主な仕事は医療・教育・社会福祉。活動の範囲はヨルダン・レバノン・シリア・さらに東エルサレムを含むヨルダン川西岸とガザの両パレスチナ暫定自治区だ。
創設時に設定されていた活動期間は3年。つまり3年でパレスチナ難民問題は解決できるとみられていた。ところが3年単位で延長を繰り返し、70年になろうとする。「問題は解決されるどころか、むしろ混迷の度合いを深めている」という。
パレスチナの西側、地中海に面したガザ地区はイスラエルによる厳しい経済封鎖下にある。港湾からの輸出は禁じられ、空港も破壊されている。いわば「陸の孤島」だ。イスラエルの国土をはさんで東側にあるヨルダン川西岸地区はエルサレムと接し、緊張の日々が続く。
UNRWAの予算の約3割は米国からの拠出で支えられてきた。しかし、イスラエル寄りのトランプ政権は2018年10月、支援の全面的な打ち切りを発表。550万人に及ぶパレスチナ難民の生活環境や経済状態はさらに深刻さを増しているというのが最新の状況だ。希望が見えない。
日本人から見て、パレスチナ問題が非常に遠いところにあり、ピンとこないであろうことは清田さんも承知している。「パレスチナ問題に関するニュースは、日本でも報道されている。しかし、実際にそこで実際に生活している人々の"生の声"はほとんど伝わっていないのが現実だろう」と書いている。だからこそ"生の声"を届けたいとも。
そんなこともあり、本書では極めてリアルな話が多く登場する。例えばガザから日本に来ようとすると、どれだけの時間がかかるか。4日かかるのだという。まずガザを実効支配するハマス(イスラム抵抗運動)の検問所、つづいてパレスチナ自治政府による検問所、次にイスラエル側に入るときの検問所、そのあとイスラエルからヨルダン川を渡るときにまたイスラエルの検問所、そしてヨルダンに入るときにヨルダンの検問所。これらの検問所は何時間も待たされた挙句に通行許可証が出ないこともある。荷物や衣服をすべて調べられる。そもそもガザを出るパレスチナ人はイスラエル側から発行される移動許可証が必要であり、この許可証がすんなり出るとは限らない。
イスラエルの空港から飛び立つことはできない。わざわざヨルダンのアンマンまで行く必要がある。この一事を知るだけでも、パレスチナ人の置かれている状況の一端を知ることができる。合法的に出国するにも何日もかかるのだ。
清田さんは1961年、山口県で地域医療に従事する医者の家に生まれ、高知大の医学部を卒業。公衆衛生を専門にすることを目指して東京・清瀬の結核予防会結核研究所に入り、そこからJICA(国際協力機構)への出向という形でまずイエメンに2年半。その後94年からWHOで働き、エジプトのアレクサンドリアに住んで「東地中海」を担当し、2000年からUNRWAに出向する形でカイロに移った。さらに10年から保健局長になってアンマンを拠点にパレスチナ難民問題に携わっている。医者になってからの生活のほとんどを中東周辺で過ごしているという数奇な日本人だ。
UNRWAは総職員約3万3000人という非常に大きな組織だという。清田さんが管理する保健分野は144の診療所で約500人の医師、約1000人の看護師を含めて約3300人のスタッフが働いている。そんな大所帯を日本人が仕切っているとは、ついぞ知らなかった。
本書ではパレスチナの医療と健康問題についてもページが割かれている。様々な問題があり、取り組みが紹介されているが、いちばん驚いたのは、パレスチナ暫定自治区では、がん患者に対して放射線治療を行うことができないということ。イスラエルが放射線治療用の機器の設置を禁じているからだという。そんなところまで紛争が影を落としている。
若者の失業率は6割を超え、ガザはこの10年で三度の戦争を経験しているので、子供たちの多くは「戦争しか知らない」。ガザの700人を収容できる拠点病院は、しょっちゅう負傷者であふれかえり、野戦病院化する。ガザの若者と話をすると、帰ってくる言葉は決まっているという。
「人間としての尊厳が欲しい」
日本ではあまり使われない「尊厳」(dignity)という単語。もちろん清田さんができることは限られてはいるから、その言葉を聞くたびに胸が張り裂けそうになるという。
たしかに、日本から見てパレスチナはあまりに遠い。しかし、本書を読んで、そして清田さんという一人の献身的な日本人医師を媒介にして、その距離はぐっと近づいた。
関連して本欄では『イスラエルに関する十の神話』(法政大学出版局)、『限界の現代史』(集英社新書)なども紹介している。
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