新泉社のシリーズ「遺跡を学ぶ」は、全国各地の考古学研究の成果をコンパクトにまとめて考古ファンに人気がある。135冊目になる近刊が本書『ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡』だ。
このシリーズでは全国の遺跡がランダムに登場するので、会社で言えば本店の話もあれば、支店レベルかなと思うものもある。本書はもちろん前者だ。
奈良盆地中央に位置する弥生時代の大環濠集落「唐古・鍵」は教科書にも登場する有名な大規模遺跡だ。700年にわたって繁栄を続けたという。2018年4月には「唐古・鍵遺跡史跡公園」がオープンした。渦巻飾りを持つ二階建ての楼閣がリニューアル復元され、シンボルとなって周囲を圧している。「唐古・鍵」の「本店」としての重みはどこにあるのか。本書をもとにたどってみよう。
まず驚くのは、この遺跡の調査が18年12月現在、第126次だということだ。すでに1901年には雑誌「考古界」に研究論文が発表されているという。その後も、鳥居龍蔵、梅原末治、森本六爾、末永雅雄、小林行雄、坪井清足らそうそうたる考古学者が調査に関わってきた。まさに「本店」にふさわしい陣容だ。
集落の範囲は東西350メートル、南北500メートル、そこに約900人が暮らしていたと推定されている。この遺跡の様々な出土物から弥生式土器の編年が確立され、紀元前5世紀ごろにさかのぼる国内最大級の弥生集落、近畿中央部の最大級のムラの姿が次第に浮き彫りになる。近畿以外の各地との交流ぶりも明らかになった。まさに「本店」にふさわしい規模と陣容、影響力である。
本書でなるほどと思ったのは、暮らしていた人たちがどこからやってきたのかという考察だ。この地に縄文時代晩期の単独の遺跡はない。人がほとんど住んでいない未開拓の、しかしながら農耕に適した肥沃な大地が広がっていた。そこに稲作農耕の技術と文化をたずさえた人たちが、大阪湾を河口とする大和川をさかのぼってやってきたと、本書の著者の藤田三郎・奈良県田原本町埋蔵文化財センター長は考えている。この地で見つかった木棺墓の人骨が渡来系と同定されていることや、弥生時代前期初頭の土器や遺物群がすでに弥生文化として完成していることによる。
この地の縄文人が稲作を採用したのではなく、ここに新たに「ムラ」を成立させたのは「ヤマト」在住の人ではなかったとみてよいであろう、と書いている。
立地上の特徴分析も興味深かった。「唐古・鍵」はなんとなく奈良盆地という閉ざされた空間の中にあると思い込みがちだが、著者は、この地は大和川からさかのぼってたどり着く「港」でもあり、瀬戸内海、九州、大陸からの情報が最初に入ってくる位置にあることを強調する。一方、山越えすると、伊勢湾に至る。つまり東日本の縄文文化エリアからすると、最西端になる。西と東の結節点に位置しているというのだ。
こうして栄えた「唐古・鍵」は2世紀ごろ衰退に向かう。同じころ約4キロ先に次の時代の盟主、纏向集落が生まれて古墳群の造成が始まる。「ムラ」が「「クニ」へ、王権誕生の足音が聞こえてくる。
本書では「邪馬台国」には言及されていないが、いろいろと想像力が膨らむ。その意味でも本書は古代日本の「本店」に関わる重大な事柄を扱っていると痛感した。
関連して本欄では『ここが変わる! 日本の考古学』(吉川弘文館)、『天皇陵古墳を歩く』(朝日選書)などのほか、新泉社の出版物では『環状列石ってなんだ―御所野遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群』、『徳島の土製仮面と巨大銅鐸のムラ 矢野遺跡』なども紹介している。
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