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日本にはこんなに優れた作曲家がいた! 博覧強記の音楽評論

鬼子の歌

 政治思想史と音楽評論、この二つの領域で優れた仕事をしているのが、慶應義塾大学法学部教授の片山杜秀さんだ。本書『鬼子の歌』(講談社)は、サブタイトルの「偏愛音楽的日本近現代史」が示すように「クラシック音楽」で読む日本の近現代史だ。

 文芸誌「群像」に2014年1月号から2016年8月号まで掲載された同名連載をまとめたものだ。542ページという大著ぶりもさることながら、歴史、政治、音楽、文学など諸ジャンルを縦横に移動しての論点と博覧強記(狂気)の傍証、たたみかける迫力ある文体。まったく初めての読書体験に圧倒された。

 タイトルがなぜ「鬼子の歌」なのか。前口上の中で、概略こう書いている。明治初期に宮中に招かれたイギリスの外交官夫人が雅楽を聴いて卒倒してしまった。日本の音楽は後進性の象徴とされ、不平等条約改正のため西洋クラシック音楽の吸収が急務となった。東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)には、長く作曲科が作られなかった。演奏家と西洋音楽教育者の養成が目的だったからだ。音楽の創作が社会的に待望されないのに作曲してしまう、だから鬼子なのだ、と。しかし、日本人が作ったオペラや交響曲にも近代文学や近代美術にひけをとらない蓄積があるとして、本書では以下の14人の作曲家と作品を取り上げている(章の順に)。

1 三善晃のオペラ『遠い帆』
2 伊福部昭の『ゴジラ』
3 山田耕筰のオペラ『黒船』
4 尾高尚忠の交響曲第一番
5 別宮貞雄のオペラ『有間皇子』
6 諸井三郎のピアノ協奏曲第二番
7 早坂文雄の『左方の舞と右方の舞』
8 深井史郎の交響的映像『ジャワの唄声』
9 山田一雄の『おほむたから』
10 大木正夫の交響曲第五番『ヒロシマ』
11 信時潔の『海ゆかば』
12 戸田邦雄のバレエ音楽『ミランダ』
13 黛敏郎のオペラ『金閣寺』
14 松村禎三のオペラ『沈黙』

不可能性を肯定する三善晃

 第1章で七十余ページも割いて論じているのが、三善晃だ。「日本の西洋クラシック音楽がついに生み出した天才。早期教育の本格的成果。二〇歳前後から名声をほしいままにしました」と絶賛している。

 日本の音楽学校で学べる程度のことは高校までに独習し、東大文学部に進学。21歳で尾高賞を受賞するなど、若くして日本を代表するクラシック音楽作曲家となった。アニメ主題歌『赤毛のアン』や音楽詩劇『オンディーヌ』の音の「すし詰」ぶりに感心する。

 伊達政宗によってスペインに派遣された支倉常長を主人公とするオペラ『遠い帆』は、三善の「自画像オペラ」だと論じている。20場のオペラは、ジェット・コースターに乗ったような体験で唖然呆然としたという。不毛なフランス留学と帰るべき「日本」を持たなかった三善を支倉常長に重ねている。

 ここで論は終わらない。さらに松本清張の長編小説のタイトル、『砂の器』、『波の塔』、『点と線』などの独特のネーミングにふれ、三善の曲名(『霧の果実』、『黒の星座』など)との類似を指摘する。どちらも不可能性が刻印されているというのだ。

 「支倉常長の歴史オペラに見せかけた三善晃の『自画像オペラ』と思わなければ、この音のひたすら煎じ詰められた濃厚な作品を解きほぐすための鍵は得られないでしょう」と書いている。生者と死者、彼岸と此岸、東洋と西洋が引き裂かれるしかない「宙吊り」状態を積極的に肯定する作曲家、と結論している。

本当にゴジラと似ていた伊福部昭

 第2章の伊福部昭の『ゴジラ』も面白い。戦時中に科学研究員として徴用された伊福部が木製飛行機の研究中に放射線被曝したこと、また次兄は蛍光塗料の研究中、放射線障害で倒れ、亡くなったという事実を紹介している。伊福部とゴジラは本当に似ていたのだ。さらに、「ゴジラのテーマ」は「シ」の音階を連呼する七音音階だという。日本の伝統的な五音階を戦後、素直に使えなくなった「伊福部の屈折や怨念もまた込められているでしょう」という伝記的事実と音楽を重ね合わせた分析には、驚いた。

 第13章で取り上げている黛敏郎について、著者は『平成精神史』(幻冬舎新書)という近著でかなり詳しく論じている。梵鐘の音に影響を受けて作った「涅槃交響曲」や「日本を守る国民会議」議長を務めた右派的側面に光を当てていた。本書ではオペラ『金閣寺』を作曲する経緯、とりわけ日本生命が東京・日比谷に日生劇場を作り、オペラを上演するに至った事情が詳しく書かれ、まことに興味深い。戦後日本を代表する音楽批評家、吉田秀和が、なぜオペラの作曲家に武満徹ではなく黛を推したのか。三島由紀夫もからんだ、その大人の事情は上質な文学を読んでいるような高雅さをたたえている。

 片山さんは『音盤考現学』および『音盤博物誌』で吉田秀和賞とサントリー学芸賞をダブル受賞、『未完のファシズム』で司馬遼太郎賞を受賞し、いま最も脂がのった評論家の一人。「超特大のにぎり寿司」を満腹になるまで食べたような満足感でいっぱいだ。でも短い文をたたみかけるような勢いある文体なので、すぐに消化できる。

 評者は名前のみ知っていた三善晃の合唱曲をさっそくユーチューブ経由で聴いてみた。「天才」がいまも身近なところで活躍していることを知り、日本の作曲家への敷居が一気に低くなる効用もあった。  

  • 書名 鬼子の歌
  • サブタイトル偏愛音楽的日本近現代史
  • 監修・編集・著者名片山杜秀 著
  • 出版社名講談社
  • 出版年月日2019年1月21日
  • 定価本体3200円+税
  • 判型・ページ数四六判・542ページ
  • ISBN9784065143216

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