世界が良い方向に進みつつあるという実感があまりない。アメリカのトランプ大統領をはじめとする世界の指導者たちの言動などを見ていると、未来の希望が湧いてこない。地球環境の汚染や民族、宗教の確執、そのほか諸々のエゴイズムが跋扈し、格差が縮まらない。世の中が本当に進歩しているのかと懐疑的になる。
本書『退行の時代を生きる――人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』(青土社)を書いた世界的な社会学者ジグムント・バウマンも、同じようなことを思っていたのだろう。
バウマンは1925年生まれ。ポーランド出身の社会学者。イギリス・リーズ大学などで長年教えて多数の著書がある。日本でも『立法者と解釈者――モダニティ・ポストモダニティ・知識人』、『近代とホロコースト』、『新しい貧困――労働、消費主義、ニュープア』、『自分とは違った人たちとどう向き合うか――難民問題から考える』など多くが訳されている。
本書の冒頭はベンヤミンの引用から始まり、トマス・モア、ヘーゲル、オスカー・ワイルド、E・H・カー、ジョージ・オーウェルなど日本人にもおなじみの名前が続く。その途中には余り聞いたことがない欧米の専門的学者らの引用が挟み込まれている。巻末の参考資料や人名索引からも、著者がマルチ・リンガルの大インテリだとわかる。
本書のキーワードは「レトロトピア」だ。トマス・モアは約500年前、夢の楽園、理想の未来社会というイメージで「ユートピア」を語った。たぶん人類の未来に希望を持っていたのだろう。その後も様々人々が未来への希望を語ってきたが、いっこうに具体化しない。それどころが、どんどん遠のいている感すらする。
対する「レトロピア」は「レトロ」、すなわち「過去への憧憬」だ。いわば「ノスタルジアの蔓延」。
本書は第1章「ホッブズへの回帰?」、第2章「同族主義への回帰」、第3章「不平等への回帰」、第4章「子宮への回帰」と、「回帰」を共通語として順にレトロピア現象を語る。
内容の正確性を期するために、訳者の伊藤茂さんの「あとがき」をもとに紹介していきたい。本書の第1章「ホッブズへの回帰」によると、ホッブズは人間の自然状態を「万人の万人に対する戦争」とした。そこに秩序をもたらす作業を「リヴァイアサン(国家)」に託した。ところが、いまや「ホッブズの想定した自然状態への回帰現象」が起きている。確かに、世界の各地で、暴力とそれに対する恐怖心が広がる。
第2章「同族主義への回帰」も思い当たる。「われわれ」と「彼ら」を厳しく峻別し、後者を敵対視することをバネにして自らの集団の統合を図ろうとする傾向が、世界のあちこちで増大している。
第3章「不平等への回帰」についても異論はないだろう。新自由主義全盛の資本主義経済がもたらした所得・資産格差の急拡大がすすんでいる。金持ちはさらに金持ちに。橋本健二さんの『新・日本の階級社会』によれば、日本でさえ、「アンダークラス」が900万人。男性の3割は貧困で結婚できない。
第4章「子宮への回帰」は、「胎児のような状態への回帰願望」だという。今や社会に出ると、厳しい競争や様々な荒波にさらされ、個人は不安の日々を強いられている。子宮の中では、他者がいない。ナルシズムという閉ざされた自己に退行することができる。「ひきこもり」や、ネットで自足するのもその一つの現象だろうか。
伊藤さんは「人間が他者の存在なしに生きられないことを考えれば、その存在を否定しようとするこれらの回帰願望は、克服すべき病理現象と言わざるを得ないでしょう」と説明している。
本書で驚くのは著者の年齢だ。原著刊行直前の2017年初頭に91歳で亡くなっている。本書が実質的な遺作だという。ほぼ90歳にして、「ユートピア」に対抗する「レトロトピア」というキーワードをもとに世界の現状を分析していたわけだ。これだけの大きな物語を、この年齢で書ける発想力とエネルギーはすごい。日本の知識人とはちょっとスケールが違う感じがする。訳者の伊藤さんは語っている。
「本書についての率直な感想は、バウマンの思考力はその死を前にしながらまったくといっていいほど衰えを見せなかったということであり・・・あらためてその死が惜しまれるところです」
バウマンは本書を次のような「遺言」で本書を締めくくっている。
「他の時代以上に、私たち、この地球の住民は、次のような状況に置かれている。つまり、手を握り合うか、それとも共通の墓に入るのかという」
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