人文・社会科学書の老舗、ミネルヴァ書房(本社・京都)は、「日本評伝選」シリーズで知られる。古代から現代まで日本の偉人・著名人200人を取り上げるのを目標にスタート、今年(2018年)も田中角栄、井深大、松下幸之助らの評伝が出た。一人一冊が原則。これまでに186冊が刊行された。
そんなシリーズがある中、上下二冊で同社から『評伝 小室直樹』が出たので、驚いた。どう考えても破格の扱い。そもそも小室直樹(1932-2010)をあなたは知っていますか?
1983年1月26日のロッキード事件論告求刑公判で、検察側が田中角栄元首相に対し懲役5年、追徴金5億円を求刑した際に小室は当日、酒に酔ったままワイドショーに生出演し、突然「あの4人の検事を殺せ! まとめて殺せ! ぶっ殺せ!」「田中に5兆円をやって無罪にしろ!」などと絶叫して退場させられた。
『ソビエト帝国の崩壊』など、いくつかベストセラーを出し、大学に属さない在野の天才学者と称されたが、いつしか奇矯な言動から「マッド・ドクター」視され、次第にテレビや言論界から姿が消えた。
今回、社会学者の橋爪大三郎さんや宮台真司さん、大澤真幸さん、教育学者の山田昌弘さん、評論家の副島隆彦さんら多彩な顔ぶれが、本書を絶賛しているのを知り、手に取った。そして1500ページ(上下2巻)のぶ厚さも意識せず、一気に読み進んだ。その生涯もまた破天荒なエピソードに満ちていた。
福島県の会津地方で育った小室は、将来総理大臣になると公言する気宇壮大な少年だった。福島県立会津高校を卒業、物理学者・湯川秀樹のノーベル賞受賞に刺激されて京大理学部を受験する。貧しくて帰りの汽車賃がなく、京都から会津まで歩いて帰ってきたというエピソードには驚いた。
京大を卒業後、理系から社会科学に転じ大阪大大学院経済学研究科に進学、フルブライト留学生として渡米。ノーベル経済学賞受賞者、ポール・サミュエルソンの薫陶を受けた。帰国して東大大学院政治学研究科で丸山眞男らに師事、さまざまな社会科学を統合する理論の構築をめざす。
しかし、大学にポストは得られず、東大の田無寮や練馬区のアパートで極貧の生活を送りながら、東大で自主ゼミ「小室ゼミ」を主宰する。橋爪大三郎さんや宮台真司さんはこの頃の弟子だ。上巻では、この時代までを収めている。
この後、小室は伝説の編集者に見込まれ、1980年『ソビエト帝国の崩壊』を書き、ベストセラーとなる。そして11年後その予言は当たる。
著者の村上篤直さんは弁護士。小室に教わったことはなく、生前面識もなかった。雑誌インタビューにこたえ、『田中角栄の呪い』(1983年)を読み、政治学や民主主義理論を公理論的に構築していることに感銘を受けたと話している。小室の著作を買い集め、ウェブサイト「小室直樹文献目録」管理人となり、橋爪さんの『小室直樹の世界』(2013年)の略年譜を執筆したのが目に留まり、本書を依頼されたという。4年がかりで当初の予定の6倍のボリュームになったが、版元は原稿を削らず、上下2巻での発行を決めた。
生前の小室を知る人たちへの取材で、知られざるエピソードも掘り起こしている。阪大大学院時代は世界的な経済学者森嶋通夫らに学ぶ一方で、戦前皇国史観を提唱した日本史学者・平泉澄(わたる)が開いた私塾に入り、4年間共同生活を送るなど、保守思想への傾倒がすでに見られるという。また、東大田無寮時代は、酔っ払い、田無警察署のトラ箱の中で素っ裸になり、佐藤栄作首相を批判したという逸話を紹介している。
著者が学者ではなく、本業弁護士というアマチュア愛好家という属性によって読みやすい文体となっている。泣き笑いしながら、小室の理論形成の背景を知ることができる。
学問を愛した生涯だったが、後半生は出版業界に囚われ、貴重な才能を摩耗してしまったような印象も受ける。本書の刊行を機会に、社会科学による「小室理論」の検証がされることを期待したい。
本欄では、ミネルヴァ書房「日本評伝選」シリーズとして『田中角栄――同心円でいこう』、『村山龍平――新聞紙は以て江湖の輿論を載するものなり』を紹介している。
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