いまでは信じられないかもしれないが、かつて百貨店が文化のショーウインドウとして輝いていた時代があった。多くの展覧会が百貨店で開かれ、おおぜいの観客が押し寄せた。地方や郊外の百貨店の閉鎖が相次ぐいま、百貨店という業態の見直しも行われている。本書『百貨店の展覧会』(筑摩書房)は、戦後に東京都内の百貨店で開かれた主な展覧会を時代別、ジャンル別に整理し、その意義を明らかにした労作だ。
著者の志賀健二郎さんは、京都大学文学部史学科を卒業、1974年に東京・新宿の小田急百貨店に入社。小田急グランドギャラリーで文化催事、宣伝、販売促進などを担当し、その後小田急美術館館長を務めた。2006年から11年まで川崎市市民ミュージアムに館長として在職中に、国立新美術館のサイトにある戦後の美術展のデータベースに百貨店で開催されたものが入っていないことに気づいた。対象が美術館に限られていたからだ。思い立って約8000件のデータを収集、書きあげたのが本書だ。
戦後最初の百貨店での総合的な美術展は、1945年10月5日から18日まで日本橋三越で開かれた「在京美術家油絵・彫刻展」だ。「戦後最初の文化的慰安を都民に贈り、あはせて進駐軍に現代日本美術を紹介のため」毎日新聞社が企画した。まだ焼跡が残る厳しい環境の中、終戦からわずか51日後に、作品100点を展示したというから、そのエネルギーに頭がさがる。
本書は百貨店の展覧会が社会的に存在感を示し、集客力が大きかった60年代までを5年刻みに章を立て記述している。各章とおもな項目を挙げると
第1章 敗戦後の混乱のもとで(1945-49) 国立博物館の街頭進出と百貨店 第2章 経済復興とともに(1950-54)国宝・重文が百貨店に展示されたわけ 第3章 展覧会の新たな取組み(1955-59) 写真展、山下清展、漫画の展覧会 第4章 大衆消費社会の進展(1960-64) ターミナル百貨店の参入、古代文明の展覧会 第5章 高度経済成長の波にのり(1965-69)相次ぐ百貨店の新・増築、展覧会の隆盛 第6章 転換する時代(1970-) 西武美術館の開館
少し言葉を補うと、国立博物館(52年に東京国立博物館に改称)は47年から「子供のための文化史展」シリーズという展覧会を博物館とサテライトとして百貨店などで開催した。 また50年に文化財保護法が成立、寺社が宝物の管理者から所有者となり、百貨店での「ご開帳」が可能になった。73年に死者103人を出した熊本市の大洋デパート火災を契機に74年、文化庁が百貨店など仮設会場での国宝・重文の展示を事実上禁止するまで、これは続いた。
経済の復興とともに百貨店も拡大し、展覧会のジャンルも多様になり、美術以外にも写真、漫画、デザイン、文化遺産、古代文明とさまざまな展覧会が開かれるようになった。
日本は戦後しばらくの時期まで美術館も少なく、予算も限られていたため、新聞社が展覧会を企画・主催し、百貨店などで開くのが常態化していた。また人もよく集まった。60年代まで1日平均3000人以上の展覧会は特に珍しくなかったという。
しかし、70年代以降、各地に公立美術館、私立美術館がオープンすると百貨店は展覧会の主役の座を明け渡す。その流れの中で百貨店の中には美術館を併設するところも出始める。75年に池袋西武がイメージ戦略の要として開設し、初めて「美術館」という名称をつけた西武美術館は、現代美術を紹介するなど独自の展開で話題を集めた。しかし、99年に閉館(当時はセゾン美術館)、追随した多くの「百貨店美術館」はバブル崩壊の余波もあり、クローズを余儀なくされた(新宿三越、池袋東武、新宿小田急、新宿伊勢丹)。
志賀さんは「戦後日本の実業界の中で、これだけ文化にコミットしてきた業界は他にはないのではないかと思われる」とその貢献を評価する。一方、百貨店での「期間限定」の文化の展開が華々しかっただけに、日本の美術館は文化のストックという視点を欠落したまま、文化のフローが常態化したのではないか、と指摘する。
展覧会の会場がデパートから美術館に移っただけで、企画と実際の運営は新聞社主導という展覧会はいまでも少なくない。大手新聞社は美術のエキスパートを抱えて数年先の大規模展の下交渉をしているが、国公立の美術館は予算の仕組みもあって、リスクのある大胆な活動が制約されているからだ。
本書の巻末は67ページにわたり、戦後百貨店で開催された展覧会をジャンル別にまとめている。「戦後日本の文化は自分たちが支えてきた」という多くのデパートマンの自負が伝わってくる。
ちなみに70年11月12日から17日まで、池袋東武を会場に「三島由紀夫展」が開かれ、終わって1週間後の11月25日に三島は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺した。「警視庁はこの展覧会を三島の"遺言"と捉え、その頃から決意を固めていたと推定している」(当日の朝日新聞夕刊)と紹介している。百貨店の展覧会の懐の深さを感じさせる逸話だ。
本欄では三島の死について『三島由紀夫 ふたつの謎』を取り上げたばかりだ。また、サントリー美術館で活躍した若林覚さんの『私の美術漫歩--広告からアートへ、民から官へ』(生活の友社)も紹介済みだ。
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