いわゆる「歴女」が最も好む戦国武将は真田幸村とされ、2年前のNHK大河ドラマの主人公に選ばれた。だが歴史ファンらに「一番興味のある戦国武将は?」と尋ねれば、織田信長が最も多くの票を集めるのではないだろうか。信長は数多くの小説やドラマなどで取り上げられ、善玉にも悪玉にも描かれてきたが、なおその人物をめぐっては議論が続いている。
本書『信長の原理』(KADOKAWA)は、エピソードを並べ多面的な信長像を浮き彫りにしようとするアプローチとは一線を画す。異端児ともいわれる信長の内面に切り込むようにして直截的にえぐり出し、人間として丸ごと描ききろうと試みている。これまでの歴史小説のイメージを覆すような「新しさ」が鮮烈で、長編を一気に読ませる。
著者はミステリーや冒険活劇、ハードボイルドなど多彩な作品を発表し、エンターテインメント小説の旗手とされる垣根涼介さん。本書は「光秀の定理」「室町無頼」に続く3作目の歴史小説だ。
吉法師と呼ばれた幼い信長は蟻の列を見ていた―。物語はこんな場面から始まる。「原理」をつかむ伏線だ。
気性が荒く、母親からもうとまれ、孤独で常に渇きを覚えていた少年時代の信長。家臣からも蔑まれ、「うつけ者」と呼ばれていた少年はやがて元服し、自ら鍛えた馬廻衆(うままわりしゅう)を率いて戦に出るようになる。その激烈な個性で家臣団をまとめながら戦い続ける中で、信長はひとつの法則に行き当たる。厳しく鍛え上げた兵も、合戦が始まると最高の働きを見せるのは全体の2割。6割は漫然と戦い、残りの2割は怠け、落ちこぼれていく。これは幼いころに気づいた蟻の働き方と同じではないのか...。
現代では「パレートの法則」あるいは「働き蟻の法則」よばれるこの法則が作品の主要なモチーフであり、物語の基礎を貫いている。ことあるごとに信長はこの「2割・6割・2割」の法則について考え、悩み、苛立つ。神仏などいるはずはないが、それに似たこの世を支配する何事かの「原理」が存在するのか―と。
物語の前半では、信長が「田楽狭間の戦い」で今川を破り、足利義昭を奉じて上洛、朝倉・浅井連合軍と相対した「姉川の戦い」のあたりまでを、ほぼ時系列で描く。「執拗さ、神経の太さ、耐性の強さを併せ持っていた」という信長の戦の才や領国経営の手腕などもあますことなく伝え、織田信長という人間が強いリアリティーを持って浮かび上がってくる。
後半では、羽柴秀吉、明智光秀、柴田勝家ら重臣たちが信長の元で懊悩し、どう行動したかが描かれる。苛烈な主君・信長との関係性や繰り広げられる激しい出世争いなどは、戦国武将たちの群像劇ともいえ、その中で次第に疲弊していく姿はきわめて今日的だ。
際立って印象深いのは「稀代の悪党」といわれた戦国武将、松永弾正と信長の関係だ。信長の軍門に下った弾正は、神仏の存在を問われて「おそらくはいますまい」と答える。続けて「もしいたとしても人間のことなどことさら興味を持たぬかと思われます」と言い放ち、信長と深く響きあう。おそらく、2人は似たもの同士であり、数少ない互いの理解者だったのだろう。しかし、理解すればこそ、弾正はやがて「やつにこの宇内(=天下)を支配させるわけにはいかない」と、信長に反旗を翻すことになる。
そしてもう一人。その才覚を見込まれて信長に召し抱えられ、短期間で破格の出世を遂げた明智光秀。理想的とも思われた信長との主従の関係が崩れていく様子は、おなじみの展開ながら、本書のそれはリアルで息苦しいほどだ。
天下布武を掲げ、武家の頂点をうかがうまでになった信長はここでまた考える。
羽柴秀吉、丹羽長秀、柴田勝家、滝川一益、明智光秀―。法則に従えば、この中から誰か1人自分を裏切る者がでるはずだ。それは一体だれなのか―。
さまざまな出来事や思惑が絡み合い、物語は本能寺の変へとなだれ込む。終盤、光秀が否応なく謀反を起こすことになる流れは意外な展開だが、その謎解き部分は明快かつスリリングだ。
明智軍に囲まれ自らの命を断とうとする直前、信長は笑う。なぜか。生涯の命題ともいえる原理、法則、それが存在する理由を突如悟ったからである。「おれは、自ら死を招いたのだ」―。信長の生きざまを手にした、というずっしりとした読後感を得るに違いない。
歴史文学でありながら、作者ならではのミステリーの味わいやハードボイルドの要素もちりばめられ、最後まで飽きさせない。上質のエンターテインメント小説として楽しめる一作に違いない。
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