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「電力中央研」にまだまだ原子力技術研究者が必要だ

工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記

 『工学部ヒラノ教授』に始まる一連のシリーズは十数冊におよび、「工学部の語り部」を自認する著者の今野浩さんも、さすがにもう書き尽くしたと思っていたが、まだ書くべきことが残っていた。それが本書『工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記』(青土社)で取り上げる「電力中央研究所」時代である。

 そもそも『工学部ヒラノ教授』シリーズは、筑波大学、東京工業大学、中央大学とわたりあるいた今野さんが、理工系学部の教壇の知られざる実態を面白おかしく書いたものだ。だが、そこには前史があったのだ。

 東京大学工学部の応用物理学科・数理工学コースを卒業した今野さんは、1965年、電力中央研究所に入る。日本で初めての民間シンクタンクで優秀な人材が集まっていたが、今野さんにとっては大学のポストを手に入れるまでの「仮の棲家」だった。予想に反して配属になったのは専門外の原子力発電研究室。理工系の分野では調査は研究の前段階であって、いくら報告書を書いても研究論文とは認められない。論文を書かなければ博士号は取れず、将来はない。そんな風に煮詰まった時にアメリカ留学の話が舞い込んだ。

 スタンフォード大学大学院で2年の猛勉強の末、あと1年留学期間を延長すれば博士号が取れる状況になった。ダメもとでお伺いを立てると、所長の判断で延長が認められた。

 博士号を取り、戻った職場は所長が変わり、雰囲気も一変していた。ふたたびアメリカのウィスコンシン大学の数学研究センターから客員助教授として1年間招待され、無給・休職を条件に渡った。しかし、そこは極寒の「地獄」だった。日本に戻り半年で筑波大学に移る時は「恩を仇で返した大悪人」と罵られ、「二度と研究所の敷居をまたぐな」と言われた。

 しかし、そこまでして行った筑波大学では「煉獄の苦しみ」を味わったという。それに耐えることができたのはウィスコンシン大学で「地獄」生活を体験したからだとも。

 その後、東京工業大学教授となり、日本OR(オペレーションズ・リサーチ)学会会長を務め、金融工学の権威となった今野さんだが、「もし留学の機会が与えられなければ、三流研究者として定年を迎えていただろう。またもし博士号が取れなければ、東工大という一流大学の教授ポストが降ってくることはなかっただろう」と書いている。

高速増殖炉の完成を研究者は信じていた

 本書は理工系の研究者の厳しい競争社会を描いたものだが、もう一つ、電力中央研究所という電力業界との縁が深い組織の断面を記述した本としても興味深く読める。

 著者が入所した翌年(1966年)、東電の福島第一原子力発電所の建設が始まった。この頃、福島第一原発に使われた軽水炉は、1980年代半ばまでには完成すると言われていた高速増殖炉までの「つなぎの技術」に過ぎなかったという。超一流の技術者が原子力分野に集まり、本気で高速増殖炉の完成を信じていたというのだ。その後、高速増殖炉は頓挫し、福島第一原子力発電所は東日本大震災により、深刻な放射能汚染事故を引き起こした。

 今野さんは「二度と敷居をまたぐな」と言われた古巣に対する無用論にこう反論する。「今後原子力発電が縮小・廃止されるとしても、これから先何十年にもわたって、"廃炉作業"という困難な仕事が待っている。この場面では、電力中研の原子力技術研究者が大きな役割を担っている」

 理系の研究者は「論文を書くか、破滅するか」という強迫観念で論文を書き続けるというが、著者は満70歳の退職後に物語を毎年2冊のペースで書いてきた。ノンフィクションはこれで打ち止めにして、フィクションに向かうかどうか、まだ目が離せない。    

  • 書名 工学部ヒラノ教授の研究所わたりある記
  • 監修・編集・著者名今野浩 著
  • 出版社名青土社
  • 出版年月日2018年8月15日
  • 定価本体1800円+税
  • 判型・ページ数四六判・204ページ
  • ISBN9784791770892
 

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