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「回天」「伏竜」「震洋」...兄弟で3つの「特攻」

特攻

 特攻隊に関する本は多い。その中で本書『特攻――自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言』(新日本出版社、岩井忠正・岩井忠熊著)には四つの特徴があると思う。

 第一に、特攻隊員だった兄弟の共著だということ。これは珍しい。一家から複数の特攻隊員が出るケースは少ないからだ。二つ目は、2人で3種類の特攻戦に関与していること。「人間魚雷・回天」「潜水特攻・伏竜」「水上特攻艇・震洋」。これも珍しい。さらに著者のうちの一人がのちに高名な近現代史研究者になっていること。これも希有だ。四つ目は、なぜ特攻を志願したのか、なぜ戦争に反対しなかったのかということについて、かなり詳しく書いていることだ。

船はわずか25秒で轟沈

 まず著者の紹介から。兄の岩井忠正さんは1920年生まれ。慶応大学文学部哲学科二年生の時に徴兵猶予が停止になり海軍へ。43年10月21日、神宮外苑で行われた学徒出陣壮行会にも参加した。海軍で「回天」の要員になり、訓練を受けたが、肺結核の疑いをもたれ、感染が広がると困るということでメンバーから外される。その後改めて潜水特攻「伏竜」の要員に回され、訓練を受けたが、実戦に出る前に終戦を迎えた。一人で二つの特攻に関わったが生き延びるという数奇な体験を持つ。戦後は商社員を経て翻訳業をしていたという。

 弟の岩井忠熊さんは1922年生まれ。京都大学文学部在学中の43年12月、横須賀第二海兵団に入団。航海術を学んだあと「震洋」の要員になり、45年3月23日、五島列島から南方に向かう船団で移動中、米潜水艦に襲撃される。船はわずか25秒で船尾を垂直にして轟沈。海に飛び込み3時間漂流して救助された。隊員187人のうち生き残ったのは45人。さらに訓練を続けているうちに終戦。戦後は立命館大学の教授や副学長をつとめた。『近代天皇制のイデオロギー』など多数の著書がある。

 岩井兄弟は男6人を含む10人きょうだいの9番目と10番目。ともに死んでも「係累の点では問題ない」と軍に判断されていたようだ。

命中すれば爆死、失敗した場合は自爆

 特攻は1944年秋から始まった。「空の特攻」が有名だが、本欄では「水上特攻艇」や「伏竜」も紹介してきた。忠正さんの「回天」は、そうした「海の特攻」の一つ。魚雷の後部に操縦席を付け足したもので全長15メートルほど。脱出装置はない。命中すれば爆死、失敗した場合は自爆することになっていた。

 隊員たちと整備工場で初めて「回天」を見たときの強い衝撃を記している。「俺はこの中に入って死ぬんだ、これが俺の棺桶なんだ――みんな黙りこくって"寂として声なし"の状態だった」

 ある仲間は訓練中に事故死。別の仲間は出撃死。忠正さんは、潜水服を着て海中に潜って敵の上陸艇を爆破する「伏竜」も経験する。実際に訓練をやってみると、潜水装置の扱いが難しくて失敗しない隊員がいないという悲惨さ。仲間の少・中尉らは「誰だ、こんなことを考え出した奴」「こりゃきっと漫画から思いついたんだぜ」などとかなり遠慮なく批判を口にしたという。こちらも訓練中の事故が多発、忠正さん自身も二度、危うく命を落としかけた。

 45年8月6日、瀬戸内海の呉港に近い小島に集結しているとき、青空が一瞬、稲妻のように光った。その日のうちに正確な情報が届いた。一発で広島が完全に破壊されたという。

 8月9日、弟の忠熊さんは島原半島の基地で昼食中に大爆音。まもなく山頂の見張りから、対岸の「長崎方面で火山が爆発」の報告。数日後に特殊爆弾で長崎壊滅の情報が伝わった。こうして戦争が終わった。

世間で一番厳しいタブー

 冒頭にも書いたように本書の大きな特徴は、戦争に引きずり込まれていく学徒兵の心境が克明につづられていることだ。兄の忠正さんは書いている。

 「私は、もともとあの太平洋戦争は日本の正義の戦争だったとは考えていなかった。そしてこの戦争は必ず日本が負けるに違いないと思っていたのである。その私がそういう考えを持ったまま海軍将校になり、特攻隊にまで入ったのだ。私は大きな誤りを犯したのだろう。だがその過程には私なりの必然性があった。このことを語るのは正直なところ私には辛い。だがこれは言い残して置かねばならないことなので、ありのままを書くことにする」

 戦争末期、もはや「戦争批判」は口にできなかったという。それは「不逞な考え」であり、「世間で一番厳しいタブーを犯すことになる」からだ。日中戦争は侵略戦争と認識し、「八紘一宇」や「大東亜共栄圏」も信じていなかったが、すでに戦争に行くのは逃れられない宿命となっていた。

 軍隊に入る直前、兄弟で先祖の墓参りをした時のことが紹介されている。二人とも戦死は免れないと覚悟を決めていた。列車の中で話していて話題が天皇になったとき、二人は言葉を飲み込んだ。周囲の誰かに聞かれるとまずいからだ。天皇をドイツ語の「カイザー」と言い換えて話したという。

 もはや 時流に逆らうことは不可能という「自己説得」のもと、「いさぎよく」召集に応じた。学徒出陣式には「冷ややかな気持ち」で参加した。死ぬことは分かっていたから、「一発ドーンと行ってやれ」と特攻に応じた。そうした気分は、当時の学徒兵の中に少なからずあったということも示唆している。

「いや」とはいえない

 忠熊さんも書いている。「同じ死ぬならいっそのこと体当たりして敵に確実な打撃を与える方がよいのではないか」「もはや大きな流れの中にはいり、その流れのまま泳いでいるような感じだった」。

 「特攻」を募集するとき、海軍水雷学校の校長(中将)が若い士官を集めて叩頭した。「戦局を挽回するためには諸君に死んでもらうしかほかなくなった。はなはだ申し訳ないが諸君に死んでほしい」と再び頭を深く垂れた。そういわれたら、当時の士官は「いや」とはいえない。「男として」これに従わないでおれるかというのが当時のわたしたちの心情だったと振り返っている。こうしてほとんどの特攻は「志願した」ということになった。

 本書では近現代史研究者でもある忠熊さんが「アジア・太平洋戦争と特攻作戦」「特攻と戦争をくり返さないために」という時代背景や検証、教訓も書いている。

 岩井兄弟や友人ら学徒兵が死と向き合い、多数の犠牲者を出した特攻戦術だが、水上・水中特攻の発案者も実施責任者もだれひとり自決した話を聞いていないという。「死んでくれ」と叩頭した中将も82歳の長寿をまっとうしたそうだ。一方で、特攻隊を英雄視し、あの戦争を美化しようという風潮もある、見過ごすことはできない、われわれは沈黙しすぎた、あの戦争の免罪や美化に利用されることを拒否したい、ということで体験を語ったと記している。

  • 書名 特攻
  • サブタイトル自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言
  • 監修・編集・著者名岩井 忠正、岩井 忠熊 著
  • 出版社名新日本出版社
  • 出版年月日2002年7月 5日
  • 定価本体1800円+税
  • 判型・ページ数四六判・203ページ
  • ISBN9784406029339

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