マスコミ関係者には気になるタイトルかもしれない。『「共感報道」の時代――涙が変える新しいジャーナリズムの可能性』(花伝社)。その通りだと膝を打つマスコミ人も少なくないだろう。「客観報道」「調査報道」に次ぐ「第3の報道」が「共感報道」なのだという。
著者の谷俊宏さんは1959年生まれ。早稲田大学を出て共同通信に入り、社会部やロサンゼルス支局、文化部などの記者を経て2015年退社。現在の肩書はジャーナリスト、マスメディア研究者。大正大学大学院で仏教学、武蔵野大学大学院で臨床心理学も学んでいるそうだ。
著者によれば、「共感報道の時代」は2011年の東日本大震災がきっかけになって幕を開けた。その事例をいくつか挙げている。秋田テレビの記者は岩手県大槌町で取材中、被災女性からお菓子を差し出された。そして「秋田からわざわざ来てくれて、苦しいときに私の話を聞いてくれてうれしかった。元気づけられた」と言葉をかけられたとき、こらえきれなくなったという。
高知放送の記者は宮城県南三陸町で、「上を向いて歩こう」を口ずさむ水産関連会社の社長を取材していて涙があふれてきた。「取材する自分も上を向いてしか話を聞けなくなった」という。静岡放送の記者は、宮城県東松島市で土砂に埋もれた赤いランドセルを発見したとき、小学校一年生になったばかりの自分の娘と重ね合わせ、泣いた。
取材中に記者が涙し、その思いをストレートに番組や記事で報じる。本書ではこうしたマスコミ関係者の体験談が次々と並ぶ。さらに従来の取材を「冷たい取材」「熱い取材」「熱くて冷たい取材」に分類して振り返る。
そして、「客観報道」は戦争への深い反省もあって生まれ、「調査報道」は政治社会の目に余る腐敗で注目され、東日本大震災に続いて、御嶽山噴火や熊本地震で「共感報道」が涙の価値を認識させてくれたと説く。
ただ本書を読んでも、それでは過去の有名な取材は「共感報道」ではなかったのか、どうして「東日本大震災」が起点になるのかということは判然としない。ナガサキ・ヒロシマの被爆者報道、水俣病などの公害被害者報道、中国孤児報道、御巣鷹山の日航ジャンボ機墜落報道、阪神大震災の報道・・・。ちょっと思いつくだけでもいろいろある。たとえば、日航機事故では犠牲者たちの生前の話や、最期のメッセージなどが克明に報じられ涙を誘ったはずだ。あるいは戦争中でも、特攻隊の「軍神」記事などでは「涙」が深層で共有されていたのではないか。アサヒグラフの昭和20年復刻版などを見ても、「苦しいけど頑張ろう」という趣旨の「共感」を強制するような記事があふれている。
それでも最近のメディアの中で「共感報道」が増えているように思えるのはなぜなのか。災害が多いからなのか。報道する側がいろいろ工夫していることなどは書かれているが、ネットなどとの関係などをもっと踏み込んでもらいたかった気がする。
まずネットによるマスコミ批判。マスコミの取材ぶりや報道内容は常にネットのターゲットになっている。さらにネット自身でも、以前は「エグい記事」が好まれ、野放しだったが、最近は明らかな変化がある。不確かな記事、人権侵害につながるヘイト記事などへの批判が強まり、大手ポータルサイトなどでも、「心温まるニュース」が好まれる傾向が顕著だ。雑誌でも、「文春砲」などでスキャンダル記事を連発しても、売れ行きはよくないと聞く。
今やSNSで「いいね!」が付いて「共感」はあっという間に広がり、発信するマスコミにとってもプラスに作用する。バラエティ番組なども含めて、「共感」が、時代に合った「おいしいコンテンツ」になっているという側面があるような気もする。
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