世界最高のラグジュアリー・メゾンといわれる仏シャネルのブランドポリシーは「古い価値観にとらわれない女性像」という。2年前まで、10年間以上にわたり初の米国人女性として同社のグローバルCEO(最高経営責任者)を務めたモーリーン・シケ氏は、まさに古い価値観にとらわれない舵取りで、3倍成長を達成したとされる。本書は同元CEOによる初の自伝。シャネル転職までの半生を語ったものだが、その生き方は常に新しいものへの挑戦だった。
シャネルのようなブランド企業を率いる人物といえば、一族の然るべき人物とか、有名ビジネスクールで経営学を学び、その企業、あるいは業界のなかでステップアップしてきたビジネスパーソンを想像しがちだが、シケ元CEOのたどった道は、そうしたいずれでもない。
米国の地方都市で生まれ育ち、荒廃した環境や保守的な価値観に抵抗を感じ、そのなかで、弁護士の父親がフランス語に堪能だったことなどから、洗練されたフランスへの興味を募らせていく。補欠で滑り込んだ難関高校で、素晴らしいフランス語教師に出会い、南仏プロバンスで夏休みを過ごすなどして、ますますフランスを好ましく思うようになる。高校生のときのフランスとの縁が、のちにシャネルへと導くことになるとは当時は気が付かなかった。
高校卒業後は、故郷のミズーリ州を離れ、コネチカット州のエール大学に進学。高校時代にユダヤ人であることで差別的扱いを受け、大学では田舎者扱いされたという。3年生の時に、こんどは留学でフランス行きを果たすが、同行の仲間のなかでただ一人、寄宿先でフランス人との相部屋を希望。この時のルームメートが後の就職シーズンに、仏化粧品会社ロレアルを紹介してくれることになり、米仏にまたがる営業パーソンとしてのキャリアをスタートさせることになった。
同社では研修として、大型スーパーを相手にしたノルマ付きの営業で地方都市に派遣され、レンタカーを借りながら店舗を回りたくましくなっていく様子が述べられる。少しずつ成長を重ね、販売促進、商品開発を担うマーケター、マーチャンダイザーとして活躍の場を広げる一方、社内で、後に夫となるアントワーヌとの出会いもあった。しかし、同せいを始めてしばらくして、アントワーヌにジャカルタ転勤の内示があり、それをきっかけに2人はそろってロレアルを離れ、米サンフランシスコに移る。
シケ元CEOは、アパレルチェーンのGAPに就職。ロレアルでのマーケター、マーチャンダイザーとしてのキャリアは省みられることはなく、スタートの仕事は、いわば倉庫番だった。子どものころから、受験や差別との闘いなどで挑戦を繰り返してきたシケ元CEO。逆境への強さは、ロレアルの研修などでさらに鍛えられていた。GAPグループのなかでも、ヒット商品パラッツォパンツの提案などでどんどんと評価を高め、新ブランド、OLD NAVY(オールド・ネイビー)の立ち上げにかかわるまでにポジションを上げた。
OLD NAVYは立ち上げから急成長を遂げ、シケ元CEOには、その貢献度の大きさから、グループ内のバナナ・リパブリック社長への道が開かれる。そして、それと前後してシャネルから最初の接触があった。
ロレアル、GAPグループでのシケ元CEOの過ごし方は、見ようによっては、ブラック的な印象を受ける人もあるかもしれないが、本人は常に前向きで、自らのことを押し付けることなく「自分らしい働き方」の大切さを前面に出す。ロレアルを離れてからの米国生活では、夫の専業主夫化にも助けられ仕事に専念。仕事の合間を縫っての綱渡り的出産を経験、母親らしいことができなかったために受けた娘からの反抗なども綴られている。
日本とは相当異なると思われるビジネス界の実情や、競争の厳しさが本書ではよく伝えられており、そのなかで有名ブランドを切り盛りして成長に導いてきた人物が、当初はそのフィールドに志があったわけではない意外性が興味深い。