プロ野球・横浜DeNAベイスターズのアレックス・ラミレス監督は、日本で選手として長くプレーした経験を持ち、しかも「名選手」の仲間入りを果たしており、その意味では「初」とも言える外国人監督だ。監督として2018年は3シーズン目。就任後2季続けてセ・リーグでAクラス入りを果たし、指揮官としても成功者といえる。
本書『CHANGE![チェンジ!] 人とチームを強くする、ラミレス思考』(KADOKAWA) は、日本での生活が18年目になった著者が、その間の日本球界の変化、自身の進化と成長、さらには、現役時代にしばしば見せた「ラミちゃん」パフォーマンスの舞台裏などを語る一方、これまでの名監督らが述べてきたのとは一味違う「リーダー論」を披露している。
ベネズエラ出身のラミレス監督は米国で数年間プレーしたのちの2001年に来日。07年までヤクルトで過ごし、その後に巨人(08~11年)、DeNA(12~13年)と移って計13年間の現役生活を送った。いわゆるNPB(日本野球機構)での選手生活は、タフィ・ローズ選手(近鉄・巨人・オリックス)と並んで野手としては最長の部類だ。DeNA時代の13年に日本球界通算2000本安打を達成し、外国人枠適用経験選手では史上初の名球会入りを果たしている。
日本でプレーしたのちに監督を務めた人物を探すと、日系人を除いては、ドン・ブレーザー氏(阪神、南海)、レロン・リー氏(オリックス)がいるが、いずれも成績は振るわずAクラス入りしたことがない。しかしラミレス氏は監督としてもすでに「球史に残る」ような実績を残しているといえる。
本書で明かされるところでは、まずは何事も日本流に「アジャスト(調整)」するようにしたことが大きいようだ。来日当初は、日本野球に対して「無数のWhy(なぜ)?」が頭に浮かび混乱が続いた。初回からの送りバント、勝負を避けているように見える投手のピッチング...。「私がそれまで馴染んできた野球とは全く別物だった」と驚く。
鳴物入りで来日した大物外人選手の成績が振るわないとき、しばしば指摘されるのは、日本の野球独特のゲーム運びや投球などへの戸惑いだ。アジャストできずに早々に帰国した選手たちの例は数えきれない。ラミレス監督は自らのアジャスト体験について、簡単ではなかったが、ものすごく大変なことではなかったと振り返る。その理由はハングリー精神。いまとなっては前時代的に響く言葉だが、ベネズエラの貧しい地域で生まれ育った身の上にとっては、稼ぎ場所に慣れるかどうかは死活問題。だから16歳のときにスカウトされて渡った米国ですでに異文化にアジャストすることの大切さを体得していたのだ。
現役時代にラミレス監督の知名度を上げたのは、勝負強い打撃に加えて、ホームランのあとなどにテレビカメラで見せたパフォーマンスがある。この「ラミちゃんパフォーマンス」も、アジャストの延長線上にあったという。同僚選手のいたずら半分のけしかけに「しょうがないな、つき合ってやるか」くらいな気持ちで、手をノドのところから空手チョップのように動かし「アイーン」とやると一同爆笑。当時はもちろん志村けんさんのネタだとは知らなかった。それを今度は試合前、準備体操の時間にすでに客席にいた子どもたちの前でやったところバカ受け。喜ばれるのがうれしくなって試合のなかでもやるようになった。
「パフォーマンスをするスタイルが定着してからは、毎年新しいネタを仕入れるのがオフシーズンの仕事」に。自分でテレビを見て吟味していたではなかった。なんと、ラミちゃんのパフォーマンスをみた芸人の人たちが「これをやって」と、自分のDVDを送ってくるようになった。これには笑ったという。売り込みにはアジャストしきれなかったよう(?)。そのうちの一人がダンディ坂野さんで、DVDを見てすぐに「これはなかなか面白そう」とハマり、採り入れたものだ。
ファンや関係者らからも「ラミちゃん」と呼ばれ親しまれる存在になったラミレス監督だが、外国人選手のなかにはアジャストを「やりすぎ」と快く思わない選手もいてトラブルになりそうになった経験についても述べている。
ベースボールから野球への転換、異文化への適応は、ハングリー精神のおかげで容易に克服できたものだが、契約という実務面ではなかなかスムーズにはいかなかったようだ。著者によれば、来日に際してのヤクルトとの契約は「レギュラー選手としてライトのポジションを守る」というものだったが、守備練習のときにライトに「他の選手」がいて驚いた。ヘッドコーチに訴えると「きょうはレフトで練習してくれ」といわれ、契約違反じゃないかとさらに驚く。こちらの方はアジャストを強いられたと感じたものだ。
契約に関することでは多くの外国人選手が日本式のやり方とぶつかってしまう。「これこそが、外国人選手が最初に直面する『Why?』だ」という。来日する外国人選手はそれなりの実績を重ねて、それを見込まれて入団を要請される。ラミレス監督は、日本のやり方を呑み込めるかどうかが選手生活に大きな影響を与えると述べている。これまでの外国人選手と所属球団とのトラブル史を思い出すと、あの優良選手の突然の暴発もそんなことが背景にあるのかもと思わせる。
ラミレス監督は来日当初は、短期に稼ぎを得て日本を去る考えでいたそうだがアジャストが進み、プレーでの評価が高まるにつれ日本で監督業に就くことを考えるようになる。こちらも、現役時代から監督の方向に道が開けるようアジャストを重ねてきて実現したと述べている。
本書のタイトル「チェンジ」は、自らの変化や球団改革、それにファンや横浜市との関係向上など、さまざまな意味が込められたものだが、ラミレス監督の半生の自伝としては「アジャスト」の方がよりふさわしそうだ。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?