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岩波ホールでグルジア映画がよく紹介されてきた理由

グルジア映画への旅

 「ジョージア」と聞いて、いま多くの人が連想するのは、大関への昇進を決めた大相撲関取・栃ノ心のことだろう。2015年に日本政府はそれまで使っていた「グルジア」から「ジョージア」に国名の呼び方を変更したので、まだなじみが薄いかもしれない。

 グルジアは1991年4月にソ連からの独立を宣言(12月にソ連邦は崩壊)した。グルジア出身者のうち世界で最も有名なのは、ソ連の独裁的指導者だったスターリンだろう。「ジョージアはジョージア人によって奪われた」とジョージア人は嘆いたという。ロシア、そしてソ連という大きな存在によって圧迫されてきた歴史が続いてきたからだ。

 日本では、グルジア映画が戦後、しばしば紹介されてきた。中心となってきたのが東京・神保町の岩波ホールだ。本書『グルジア映画への旅』(未知谷)は、1975年から同ホールに勤務していた、はらだたけひでさんが定年退職を機に、自身がかかわってきたグルジア映画とグルジアの人々との交流をつづった本だ。

 はらださんは1954年うまれ。絵本作家としても有名だ。第1作『パシュラル先生』で産経児童出版文化賞入賞、1992年『フランチェスコ』でユニセフ=エズラ・ジャック・キーツ国際絵本画家最優秀賞受賞。絵本では『大きな木の家 わたしのニコ・ピロスマニ』、著書に『放浪の画家ニコ・ピロスマニ 永遠への憧憬、そして帰還』などがある。

 はらださんが、絵本でも本でも取り上げているニコ・ピロスマニは、20世紀初めに亡くなった実在のグルジアの画家で、名曲「百万本のバラ」のモデルとして知られる。1978年秋に、岩波ホールで公開したギオルギ・シェンゲラヤ監督『ピロスマニ』と出会ったことが、はらださんの人生を変えたという。

 岩波ホールではそれ以降、『落葉』『エリソ』『26人のコミッサール』『田園詩』など多くのグルジア映画を公開、ソ連の関係者に不思議がられたそうだ。グルジアは15あるソ連の一共和国に過ぎないからだ。岩波ホールの関係者は、厳しい現実のなかで調和のビジョンを文化として育んできた独自の伝統文化と人間性にひきつけられたそうだ。

 本書もグルジア映画について紹介する前に、ジョージアの歴史、文化から書き始めている。そして草創期からロシア革命期、第二次大戦期、戦後、独立後と歴史に沿って、多くの監督と作品を紹介している。

 評者は以前、セルゲイ・パラジャーノフ監督の『ざくろの色』(アルメニア映画だが、監督はジョージア生まれ)を見て、その超現実的な色彩感覚に魅了された。ソビエト体制下では当局から執拗にマークされ、三度も投獄されたことなど、その生涯と作品について解説している。

 映画『ピロスマニ』と画家ピロスマニについては、巻末に附録としてさらに詳述。グルジア映画についての解説書であると同時に、はらださんのエッセーとしても楽しく読める。  

  • 書名 グルジア映画への旅
  • サブタイトル映画の王国ジョージアの人と文化をたずねて
  • 監修・編集・著者名はらだたけひで 著
  • 出版社名未知谷
  • 出版年月日2018年4月20日
  • 定価本体2200円+税
  • 判型・ページ数四六判・246ページ
  • ISBN9784896425482
 

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