本書『その後の震災後文学論』(青土社)は、タイトルに「その後の」とある通り、著者の木村朗子さん(津田塾大学学芸学部国際関係学科教授)は、2013年に『震災後文学論――あたらしい日本文学のために』(同)という本を出している。2011年3月11日の東日本大震災を扱った小説や映画を対象に、死者が登場人物として現れる、いとうせいこう『想像ラジオ』などを紹介した。本書はその続編だが、ポスト・フクシマ文学、ポスト3・11文学などとして海外の日本文学研究の場ではジャンルとして確立されている、その成果を取り入れている。
著者は「震災後文学の存在は、これまでの硬直的な読みの大系を揺るがし、批評のあり方に変更を迫っている。震災後文学というのは、震災後に震災を扱って書かれたものだけをさすのではなくて、震災後の文学状況全体をさす。たとえば震災後にさかんに第二次世界大戦を扱った戦争小説が書かれるようになったことも含めて、歴史の再考を迫るものが現れたのも震災後の文学状況だろう」と意義を説く。
第1章で真っ先に取り上げているのは2017年上半期の芥川賞を受賞した沼田真佑『影裏』(文藝春秋)だ。東日本大震災の扱いをめぐって選考委員会はもめにもめたという。「震災はどこにも書かれていない」という否定的な意見と「あの日を境に変わってしまった世界の心象を繊細に掬い上げることに成功している」と肯定的な意見が対立した。著者は「本作の受賞は芥川賞という『権威』によって震災後文学(あるいは震災文学)がジャンルとして成立したことが認められたことを示すものとなったといえるだろう」と記している。
第4章「震災から戦争へ」では、孫世代による南洋の戦争を扱う小説のはじまりとなった高橋弘希『指の骨』(新潮社)を取り上げている。戦場の悲惨さをリアルに描いているが、なぜ第三世代によって書かれるのか。「東日本大震災が、かの戦災にたとえられたような壊滅的な危機を思わせたというだけではなく、再びの被曝を引き起こした原発事故によって、戦後の歩みを問い直さなければならないという機運をつくったためだろう」と著者は見ている。
震災後文学に特徴的な死者のあり方を考えるために著者は「憑在論」(オントロジー)という批評概念を用いる。死者たちはこの世から消えてしまった者として描かれるのではなく、ずっと現在にはりついているというのだ。
本書の素材は文学作品にとどまらず、舞台、映画も取り上げている。白眉は映画『シン・ゴジラ』論だ。作中、徹底的な破壊の後、東京にまき散らされた放射能物質の半減期がたった20日であることが判明し、東京は元通りに復興することが暗示される。ご都合主義といえばご都合主義なのだが、そうしたハッピーエンドのストーリーだけではなく、「むしろ震災後の不安を潜在意識の深いところから刺激する映像がしかけられているせいなのである」と分析する。
震災後7年が経過し、被災地からの報道などはだんだん少なくなり、意識にのぼることもあまりなくなってきたが、作家、アーチストは震災とそれをもたらした、この国の在り方について考え、創作を続けている。巻末に掲げられた作品名索引には約100もの名前があり、その厚みにあらためて驚かされた。
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