有名人に張り付いたレッテルというのは容易に変わりがたい。しかし、変わることもある。小林よしのり氏の新著『ゴー宣〈憲法〉道場I 白帯』(毎日新聞出版)を読んで痛感した。
小林氏といえば『東大一直線』や『おぼっちゃまくん』でブレークしたあと、1990年代に作風を変え、「ゴーマニズム宣言」で政治的、社会的な発言を増す。一時は「ネトウヨ」の教祖というようなレッテルも貼られていた。近年、徐々に立ち位置を変えていることは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
小林氏のスタンスの様変わりは、本書の「はじめに」で明快に記されている。
・わしはもともと憲法については、占領下に憲法の専門家でもないGHQのメンバーたちがたった九日間で作ったものを、いつまで有難がっているのかという、旧来の保守派の論客と同じ感覚から「改憲」を唱えていた。
・しかし今回盛り上がりつつある憲法論議の中で、山尾志桜里議員から、そういう従来の歴史的経緯から論じるものではない改憲論議を提起され、こういう考え方もいいと思うようになった。それは、平和主義を守るための改憲である。
「旧来の保守派」から「山尾志桜里」への大転換――。そのきっかけとして小林氏が挙げるのはイラク戦争だ。2003年に始まった時、保守論壇の中で西部邁氏と二人っきりで、これは侵略戦争であり、しかも必ず失敗するとして反対を唱え、猛烈に戦った。結局、開戦の大義とされた大量破壊核兵器はイラクに存在せず、大義なき侵略戦争だったことが明らかになった。
小林氏は続ける。イラク戦争には国連が反対していたが、日本は突き進んだ。国連中心主義だった「日米安保体制」は、日米二国だけで国連を無視して何でもやれる「日米同盟」に変質した。さらに、今では安保法制によって集団的自衛権の行使まで容認され、自衛隊はアメリカの侵略戦争に加担して、地球の裏側まで行くことだってあり得るようになってしまっている...。
小林氏は隔月開催で討論イベント「ゴー宣劇場」を主催している。小林氏ら数人の「師範」を軸に毎回100数十人の参加者と議論を深める「思想の道場」だ。今年は6月まで毎月開催し、山尾議員もゲスト参加、このほか憲法学者もゲスト出演している。
本書はこの道場の議論が軸になっている。「白帯編」とあるように、憲法を考えるうえでの総論、入門編だ。山尾氏が「『立憲的改憲』とは何か」、法哲学者の井上達夫氏が「九条は裸だ」、「師匠」陣からは神道学者の高森明勅氏が「憲法九条と個別的自衛権」、弁護士の倉持麟太郎氏が「ニヒリズムと憲法」などを語り、「あとがき鼎談」と題して、小林、井上、山尾の三氏が登場している。
小林氏は、「平和憲法」が、一字一句も変えられていないにもかかわらず、日本は際限なく侵略戦争に加担できるようになったことを「本当に恐ろしいこと」だと危惧している。このくだりを読んで、最近、朝日新聞のオピニオン面に出ていた慶応大学・片山杜秀教授(政治思想史)の指摘と重なることを思い出した。
片山氏は、明治憲法も今の憲法も解釈の幅が非常に広い点が共通していたとみる。明治憲法では美濃部達吉が「天皇機関説」を唱え、それが国家的にも定説とされ、大正デモクラシーを支えた。ところが、「国体明徴運動」で180度転換して「解釈改憲」され、「一億玉砕」を叫ぶ国家に変貌した。今の憲法も、同じように、2014年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定で、「解釈」によって「戦争ができる国」にすでに変わっている、というものだ。
何かにゴーマンに吠えている印象が強烈な小林氏だが、本質を看破するという眼力は、一流の学者と違わない鋭さを持っているようだ。
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