大物右翼、フィクサー、黒幕などと言われ、戦後の政財界に隠然たる影響力を誇った人物と言えば、笹川良一(1899~1995)、児玉誉士夫(1911~84)、田中清玄(1906~93)の3氏を思い浮かべる人が多いだろう。
笹川、児玉の両氏が戦前からの右翼だったのに対し、田中氏は戦前は左翼活動家、戦後は右翼と立ち位置を劇的に変えた。本書『評伝田中清玄』(勉誠出版)は、なかなか実像が分かりにくい田中氏について、本人のインタビューだけでなく、関係者への取材なども踏まえて明らかにした労作だ。
著者の大須賀瑞夫さんは1943年生まれ。毎日新聞の政治部、サンデー毎日、政治部副部長などを務めて96年に退社した。在職中の93年にすでに『田中清玄自伝』(文藝春秋)を出版し、晩年の田中氏と長時間インタビューをしている。この本について、様々な反応があったことや、田中氏の死後、新たな資料や録音テープが見つかったこと、さらに多数の関係者からの聞き取りができたことなどで、「また違った田中清玄像が立ち現われてくるのを体験」し、改めて「評伝」を書くことにしたという。
「自伝」は本人の言い分が中心だが、「評伝」となると客観性が高まる。大須賀さんの健康上の問題もあって編集作業の一部を、毎日新聞の後輩で、政治部長なども務めた倉重篤郎さんに手伝ってもらった。すなわち本書は、謎めいた「フィクサー」の実像について、全国紙の政治部の本流を経験した記者が取り組んだものだ。したがって、この種の本にありがちな虚飾や過剰な思い入れはおおむね排され、主人公と一定の距離感を保ちながら読める良書となっている。
内容の要約は非常に難しい。なぜなら、田中清玄という人物があまりにもいくつもの顔を持ち、国内と国外、右翼と左翼、表と裏の世界を、突拍子もない行動力とスケールで駆け巡り、毀誉褒貶が極端に分かれるからだ。「彼の話は9割が法螺」と言い切る人もおれば、「真の愛国者」「時代の先を読む達人」と称賛する人もいる。
北海道で生まれた田中氏は函館中学から弘前高校を経て東大に。非合法時代の共産党でリーダーとなり、武装戦術を主導したが、逮捕。約10年の獄中生活中に転向し41年に出所。建設業を経て、戦後はインドネシア、中東の石油に深く関与、というのが、人名事典的な略歴だが、本書で縷々述べられている実像はもっと複雑だ。
評者が興味を持ったのは「敗戦を機に大飛躍」というくだり。出所後の44年に小規模な土建業をスタート、戦争末期に鉱山の地下工場建設の仕事を請け負ったが、終戦で工事は中止、すでに受け取っていた巨額の代金が、戦後の事業の拡大資金になった。
このあたりは、『田中金脈研究』(立花隆著)に描かれた田中角栄氏と似ている。元首相の「田中土建」も44年、理研の工場を朝鮮に移すという大事業を請け負ったが、途中で中止に。工場移転の前払い金をそっくりいただき、莫大な「アブク銭」を手に政治の世界に入ったと立花氏は書いていた。
児玉氏は「児玉機関」が管理してきた旧海軍の資産を、戦後、日本民主党(鳩山民主党)の結党資金として提供したといわれている。笹川氏は巣鴨プリズンにいたとき、米国でモーターボートが人気だと知り、出所後に競艇業に着手したそうだ。みな「敗戦を機に大飛躍」している。それだけの才覚や運があったのだろう。
戦後の田中清玄氏は、思想的には天皇を重んじる愛国者として新たな活動に邁進する。英語が話せたこともあり、進駐軍の要人からも意見を聞かれた。大須賀さんは、戦後間もない時期の慧眼ぶりについて二つのことを挙げている。
一つは「愛される共産党」というスローガンで支持を急拡大していた日本共産党の大衆路線が、親分であるソ連から必ず叱責されるであろうと予見していたこと。50年1月、コミンフォルムが日本共産党を批判、党は大混乱に陥る。もう一つは、ソ連が必ずや朝鮮戦争を仕掛けてくるであろうこと。これも現実のものになった。この二つの「予言」が当たったことで、政財界や進駐軍の首脳部の間で田中氏への評価が高まったという。これはなるほどと思った。戦前、共産党の指導者だったから、戦後もソ連側と内々の接点があり、彼らの思考が読めたのだ。
国内では山口組の田岡一雄組長、「電力の鬼」松永安左エ門、「財界の鞍馬天狗」中山素平氏らと昵懇だった。加えて田中氏の特徴は、エネルギー問題に早くから関心を持っていたことで海外にも人脈を広げ、インドネシア、中東、欧州などの要人と特別な関係をつくっていたことだ。海外では東京銀行や日本航空の駐在員が長年、田中氏のアテンド役を務めていた。中国にも食い込み、鄧小平とは6回も会っているそうだ。独自にトップレベルの人物とパイプを作る能力は常人には真似できない。本書を読めば、少年時代からそういう資質があったということがわかる。まさに乱世の快男子、風雲児という形容句がぴったりする。
かつては、何かと畏れられもした笹川、児玉、田中の三氏だが、笹川氏のご子息は、晩年の父が慈善運動に取り組んでいたこともあり、ハンセン病の撲滅運動で国際的に活躍する。児玉氏のご子息はTBSの役員だった。田中氏のご子息は早稲田大学の政治学の教授。乱世に「フィクサー」が暗躍し、表裏が混然としていた時代は、すっかり遠くに過ぎ去ったことを痛感する。
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