日本史について、本当はこうだった、という類の内幕本を目にする機会が増えている。それらの中にはトンデモ本も少なくないようだ。近刊の『陰謀の日本中世史』(角川新書)で著者の呉座勇一さんが注意を喚起していた。
本書『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』(KADOKAWA)も、日本史の通説に疑問を投げかけた本だ。ただし、トンデモ本ではない。長年「隠れキリシタン」を研究してきた学者による真っ当な本である。
著者の宮崎賢太郎さんは1950年、長崎生まれ。東京大学文学部で宗教学を学び、同大学院を中退して長崎純心大学人文学部で教えていた。2016年に退官している。これまでにも『カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容』(吉川弘文館)を出している。本書と同時発売の形で、以前に出した単行本を加筆修正して『カクレキリシタン 現代に生きる民俗信仰』 (角川ソフィア文庫)も出版している。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」については、世界遺産として登録しようという運動が10年越しで続けられ、18年中の正式登録に向けて秒読みの段階だという。大方の日本人は、この運動のキャッチフレーズと同じく、「潜伏キリシタンは幕府の厳しい弾圧にも耐え、仏教を隠れ蓑として命がけで信仰を守り通した」と理解しているのはないだろうか。
しかしながら宮崎さんは、かねて疑問を抱いていたという。潜伏時代とされる1644年から維新後の1873年まで、1人の宣教師もいない状態で、本当にキリスト教の信仰を持ち続けることができていたのか。
宮崎さんは40年余り、日本人がいかにしてキリスト教と出合い、改宗、迫害、殉教、背教、復活の歴史を歩んできたのか、そのドラマを読み込む作業を続けてきたという。そこで得た結論は、本書に記されている。それは「夢とロマン」に満ちた物語とは大きく異なるものだ。これまでの通説を「フィクション」として退け、改めて「ノンフィクション」として仕立て直したのが本書だ。
確かに、宮崎さんの問題意識は、言われてみればその通りだと思う。「キリシタンに改宗した人たちはどれほどキリスト教のことを理解していたのか」「キリシタンの殉教者は誰のために、何のために命を捧げたのか」「長い潜伏時代、信徒たちだけでどうやって信仰を守り伝えることができたのか」...。
宮崎さんは、「日本のキリシタン改宗者の多くは、決して従来の多神教たる仏教や神道を全面的に否定し、新たに一神教としてのキリスト教を受容したのではなく、従来の神仏信仰の上に、さらにキリシタンという信仰要素を一つ付け加えたにすぎなかった」と書く。それはたしかに「迫害に耐えて信仰を守り通した」という従来の通説とは異なる姿と言える。
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