書名のように戦前、特高警察に青春や人生を奪われた人は少なくなかった。共産主義者やアナーキストだけではない。その周辺にいた人たちも次々と引っ張られた。
本書『特高に奪われた青春』の主人公、斎藤秀一(1908~40)もその一人だ。特に目立った反体制の活動家だったわけではない。細々とエスペラントの勉強をしていただけだったが、治安維持法などで逮捕され、服役中に肺結核を患い、学究半ばで短い人生を終えた。
斎藤は山形県の曹洞宗のお寺の生まれ。鶴岡中学を卒業し、実家の関係もあって駒澤大学に学ぶ。とくに言語への関心が高く、英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語の習得や方言の研究に打ち込み、やがて日本エスペラント協会の会員になる。
エスペラントは19世紀後半、ザメンホフが考案した新言語だ。ポーランド出身のザメンホフはユダヤ人によくあるように、多言語を学んだ。そして個々の言語の共通点に注目、それらを簡便な形でまとめた共通語をつくった。まだ20代のころだ。母語の代わりではなく、誰もが簡単に使える第2言語、国際補助語を目指していた。
同じように多言語に触れていた斎藤が、エスペラントに関心を抱いたのも自然の流れだろう。ただ、エスペラントには国際語を通じて世界平和を目指そうとする側面もあり、日本で関心を持った人の中には、「プロレタリア文化運動」の関係者が多かった。
したがって、斎藤も、治安維持や思想の取り締まりを旨とする特高警察に目を付けられるようになる。大学卒業後に山形に戻り、山奥の小さな学校で教員をしていたのだが、山形には特にエスペランティスト摘発に熱心な特高課員がいた。それが斎藤の不運だった。
何度か捕まりながらも斎藤は研究をつづけた。多数の外国の文献を翻訳する一方、自らも言語雑誌に「日本ローマ字史」「荘内地方における複尾語」「日本における漢字制限」「日本式ローマ字とエスペラント式ローマ字」などを発表している。山形県立図書館には110点の資料が残されているという。
本書の著者で、戦前史研究家の工藤美知尋さんは斎藤について、「短い生涯のなかでこれだけの研究をなしとげた。天才的な在野の研究者」と感心する。
斎藤はエスペラントを研究していたこともあり、戦前の日本が、台湾や朝鮮、満州などで日本語を共通の公用語として強制していることに対しては怒りの感情を持っていた。その思いを発表した一文が残っている。
「(植民地住民への日本語の強制は)実に驚くべき言語帝国主義だ!彼ら(現地の住民)が『日本語を呪う』のは、かういう言語帝国主義への無言の抵抗ではないか! 」(1936年、雑誌「ローマ字世界」)
斎藤が入っていた警察の留置所の壁には、エスペラント語で「非転向」の文字が刻まれていたという。
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