「日本は有史以来、負けたことがない」「だから、この戦争にも負けるわけがない」
太平洋戦争のことを描いた日本映画を見ていると、しばしば軍人や戦争指導者たちがゲキを飛ばすシーンに出くわす。もちろん、本当は負けたことがあった...。
今では中学校でも習うと思うが、古代の日本は朝鮮半島で二度の大敗を喫している。最初は4世紀末から5世紀初め。その様子は好太王の碑などに記されている。二度目は7世紀半ば過ぎ。白村江の戦いだ。
本書『戦争の日本古代史』は、日本古代政治史が専門の倉本一宏・国際日本文化センター教授が、多数の研究者たちの成果をベースに、古代の日本の戦争史について丁寧にまとめたものだ。帯にはデカデカと「白村江 史上最大の『敗戦』」と刷り込まれている。
古代の東アジア情勢は常に緊迫し、流動的だった。とりわけ朝鮮半島では、北部に高句麗、東部に新羅、西南部に百済。この三国に中国政権が絡んで、軍事的衝突を繰り返した。戦いに敗れ、属国になったかと思えば、また反抗するなど不安定。日本(倭国)は主に百済の要請を受けてしばしば朝鮮半島に出兵した。
好太王の碑文などによれば、倭は391年から百済と共同で戦った。しかし、400年には新羅・加耶戦線で、404年には百済北部の戦線で、いずれも南下してきた高句麗に大敗した。すでに高句麗は騎兵を有し、射程距離の長い弓を持っていた。これに対し、倭は歩兵なので勝負にならなかった。「壊敗し、惨殺されること無数」だったという。
玄界灘を渡って朝鮮半島にたどり着いたら、丘の向こうから騎馬兵が押し寄せる。びゅんびゅん弓矢も飛んでくる。さぞかし慌てたに違いない。この敗北に懲りて、倭国も積極的に軍馬の導入を図ったそうだ。日本の「ウマ」と言う発音は中国語の「マー」が転じたものだという。
次なる大敗は663年の白村江の戦い。百済は660年、唐と新羅に挟撃され滅亡した。その遺臣たちの要請を受けて、3度にわたって救援軍を派兵する。敵は唐・新羅の連合軍。唐の戦艦は鉄甲装備された巨大な要塞だったのに対し、こっちは小船。やっとのことで白村江にたどり着いたのに、先着順に待ち構えていた唐船の餌食になる。
著者は実際に朝鮮半島南西部の白村江に行ったときの感想を記している。白村江は干満差が激しい。満潮時に到着した倭船は、干潮時に動けなくなったのではないかと見る。
数万の倭兵は壊滅的打撃を受け、捕虜多数。こうした古代日本の多大な犠牲と貢献は、今も韓国国民の胸底に焼き付いていることだろうと誰しも思う。ところが著者は、白村江の戦いが、実は韓国ではほとんど知られてないと聞いて驚く。なんと、「学校で白村江の戦いを教えていない」と韓国の歴史学者。なぜなら百済は、とっくに滅んだ過去の地方政権にすぎない、現代の韓国は、新羅、高麗、李朝の系譜を朝鮮半島の正統としているからだという。
著者は戦争史を振り返りながら、古代の東アジア進出の記憶が、征韓論以降の近代日本のアジア侵略の淵源になっていると説く。たしかに戦前は「三韓征伐」などが強調されたと聞くから、そういう一面もあったかもしれない。勝った戦争、負けなかった戦いだけを軸に作り上げられたのが「神国日本の不敗神話」だろう。冒頭の軍人訓話につながる。
しかし、本書で最も印象に残るのは、この「韓国人は白村江の戦いを知らない」という部分だ。好太王碑の戦いも、百済がらみだから、たぶん知られてないのだろう。古代の日本=倭国が流した血はあまりに空しい。しばしば「日韓ギャップ」が表面化するが、本書を読んで、そのルーツが古代までさかのぼることがよくわかった。
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