スポーツブランド「ナイキ」を立ち上げ、一代で世界的規模に成長させた創業者、フィル・ナイト氏の自伝。傍目には"無謀"とも思える行動力が随所で発揮され、語り口は淡々としているのだが、その展開は冒険小説のような躍動感があふれる。また、これまでほとんど知られていなかった日本との深いかかわりが明かされており興味深い。
1962年から1980年まで1年ごとに出来事を綴るクロノロジー形式。
スタートの62年、ナイト氏は24歳。米オレゴン州で生まれ、地元のオレゴン大学を卒業し、全米でもトップクラスに属するスタンフォード大学のビジネススクールに進みMBA(経営学修士)を取得した。その後、米陸軍の施設で1年間研修し帰郷。両親らとともに過ごしていた。
これからどうするかを考えていたナイト氏は「ランナーだった私はランニングシューズについて知っていたし、ビジネスについても詳しかったので、かつてはドイツの独壇場だったカメラ市場に日本のカメラが参入したことも知っていた」と振り返る。そして日本のランニングシューズについても、カメラと同じ可能性があると強く信じ、日本に行き靴会社をみつけて飛び込んで交渉すれば、自分をパートナーとして契約してくれると期待していたという。
父親から借金をして、日本をメーンの経由地として"世界一周"に出発。ハワイでしばらく過ごし日本に乗り込み、神戸に本社がある有名メーカーを訪問する。重役役たちが迎えてくれた交渉の場で、社名を尋ねられ「ブルーリボン・スポーツ」という名を思いつき、この会社の代表であると自己紹介。そして米国の靴市場の可能性を力説し、門前払いも覚悟していたのにミーティングは2時間にも及び、とうとうこの会社の米国代理店として契約する提案を引き出す。
こうして「ナイキ」はまず「ブルーリボン・スポーツ」という名の日本製品の販売会社からスタートした。
ハワイでも日本でも、その後に立ち寄った各地でも、米国人らしいともいえる冒険心豊かな行動を繰り広げ、その後の進路にも波乱万丈の物語があることを予想させるが、図らずもその通り、間もなく危機に見舞われる。神戸のメーカーの代理店として成長したブルーリボンだが、さまざまな確執があり、同メーカーは代理店を別の会社に乗り換えたのだ。
ナイト氏は自社製品の販売で回復を図るが、それまでの急激な拡張がたたって資金が足らなくなり経営は行き詰まる。銀行の融資も止まり窮地に陥るナイト氏...。そこへ、日本から救いの手が伸びる。大手商社が借金を肩代わりして倒産を免れた。
いよいよ「ナイキ」ブランドを引っさげて、再び市場に打って出るナイト氏。しかし、その後もさまざまな壁に阻まれ跳ね返されることになる。
読売新聞(2017年12月3日付)の書評で本書を取り上げた東京大学教授の経済学者、柳川範之さんは「通常、こういう成功者の半生記は自分がいかに凄いことを成し遂げたかという自慢が書き連ねられることが少なくない。それに対して、本書は次から次へと訪れる危機に、もがき苦しみながら、必死に前進んでいく姿が語られる」と述べている。
本書はではほかに、さらにあった日本企業とのかかわり、ナイキの名前の由来、そのロゴマークであるスウッシュ(Swoosh)の"誕生秘話"、会社の電話番号の秘密などが語られている。スポーツ関係者、これから起業を目指す若者、企業幹部などだけでなく、波乱万丈のノンフィクションとして一般の読者も楽しめる。
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