群馬大学病院で2014年3月までに、腹腔鏡を使った高難度の肝臓手術を受けた患者100人のうち少なくとも8人が死亡しており、いずれも同一医師の手によるものだったことを読売新聞が同年11月14日付で報じた。スクープしたのは、本書の著者である同紙医療部の高梨ゆき子記者。その技量を持たない医師が難手術を繰り返した背景には病院内のポスト争いや学閥間の対立が絡み、医療をその道具と化し患者を軽視する実態があった。高橋記者は一報後、全体像を追って紙面でフォローしてきたが、この重大事件についての情報が断片化したままでは発信者としては忍びなく書籍化を思い立った。
群大医学部には「第一外科」と「第二外科」の2つの外科があった。診療科目が異なれば意味のある分割であろうが、どちらにも消化器外科、呼吸器外科、移植外科などがあり、個別に医師を雇用していた。さらに異様なことには、2つの外科は補完し合うどころか互いを敵視し、手術件数などで競い合っていたという。第一は旧帝大出身者の派閥であり、それに対して第二は群大出身者らで構成されていた。
問題の医師は、第二外科のエース的存在。彼を引き立て第二外科の地位向上を目論む上司の教授がいたが、医師の技術はきわめて未熟だったという。遺族の弁護団が同医師の手術の模様を記録した映像について専門家に検証を依頼すると「稚拙」「相当下手」など、およそ執刀医の役割を担えるとは思えない厳しい評価が下されたという。しかも腹腔鏡手術で亡くなった8人が受けたのは、安全性や有効性が確立していない段階でのもので、患者や家族には安全性などについて十分説明がされていないうえ、病院側も手術への誘導に積極的な印象だった。同医師は自らの技量を試すために患者を誘い込むようにして、なんとか功名を立てようとしていたものだ。
本書によると問題の医師をめぐっては、肝臓の開腹手術でも5年間で84人中10人が術後3か月以内に死亡していることがわかっており、その死亡率は11.9%。全国的な肝臓の開腹手術の術後3か以内の患者死亡率は4%というから、異常な高率といえる。腹腔鏡手術と開腹手術を合わせ、この医師による手術後に死亡したのは計18人とされる。
読売新聞(2017年11月12日付)の書評欄で本書を取り上げたノンフィクションライターの稲泉連さんは「立ち戻るきっかけになり得たはずのいくつもの地点が、外からみれば呆れるような対立や功名心によって無視されたことが、本書を読むとよく分かる。そこにいる誰もが『医療』とは誰のためにあり、どのようにあるべきかという本質を問おうとしない様子に、組織とはときこのようにおかしくなってしまうのか、と読者は戦慄を覚えるはずだ」と述べている。
タイトル中の「奈落」は、舞台下の地下室を表す劇場用語として知られるが、元は、サンスクリット語で「地獄」のような地下世界を意味する「naraka」が音写されたものという。開腹手術がまともにできない外科医が、高度な技術を必要とされる腹腔鏡手術を手がけていた実態は、明らかになった結果をみれば、地獄にたとえられてもおかしくはない。
作家の山﨑豊子さんがゴーマンな外科医、財前教授を軸に大学病院の闇を告発したのは約半世紀前。今も変わらぬ『白い巨塔』の内情を知って驚く。
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