希望の党を立ち上げた小池百合子・東京都知事が「排除」を振りかざした相手がリベラル派と称される人たちだったことから、衆院選の前後から「リベラル」に注目が集まっている。憲法や原発、外交などをめぐって安倍政権の政策に反対や懸念を表明するのが、今の日本の「リベラル」のイメージだが、米ハーバード・ロースクールで学んだ経験もある著者は「こうした『リベラル』な主張が、どうも腹に落ちなかった」という。
小池知事の「排除」による線引きを受けて、民進党の辻元清美幹事長代行(当時)は「リベラルの力と重要性を信じている。だから私は(希望の党に)行かない」と宣言したものだ。衆院選で辻元氏が公認を受けて当選した立憲民主党は「リベラル派の受け皿」とされ躍進したが、同党の枝野幸男代表は選挙後の会見で、自分のことをリベラルと言ったことはないと発言。リベラル派とされる人たちの間でも、リベラルの意味は定まっていないようだ。
「リベラル」は、言葉の意味は自由主義的であり、政治的に使われる概念は欧米から輸入されたものと考えられる。本書によれば、日本への導入や加工などの段階で、それらが都合よく行われたために矛盾と限界が現れているのだという。
著者は東京大学在学中に司法試験、国家公務員試験(I種)に合格、2006年卒業後は財務省に入省したが2年後に退官し弁護士登録。15年に米ハーバード・ロースクールに入学し翌年修了した。17年から東大大学院で研究者を目指している。
米国で学んだ経験から著者は、アメリカのリベラルは、それに対抗する概念であるコンサバ(コンサバーティブ=保守)と合わせ、「建国以来の歴史と文化そのもの」という。コンサバの共和党はカトリックとのかかわりが深いが、民主党が看板にするリベラルという概念もまた信仰に近く、平等や正義を重んじ何ごとでも少数派の権利保護に熱心だ。この理想主義的な主張は70~80年代から盛んになったPC(ポリティカル・コレクトネス=政治的に正しい)運動につながり、人種差別はもちろん、性差別批判の延長でLGBT差別も不当だということになり、これらは「政治的に正しい」ものであり共和党も批判ができない。
LGBTは、女性同性愛者(レズビアン=Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ=Gay)、両性愛者(バイセクシュアル=Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)と性的少数者を表す言葉の頭文字をとったものだが、近年はリベラル的な保護対象がどんどん拡大しており、今や、その略称はLGBTQQIAAPPO2S...のようになっているという。もちろんこれを笑うことなどは許されない。著者はリベラルには「恐ろしく偏狭な面がある」ことを指摘している。
週刊ポスト(2017年11月10日号)の「ブックレビュー」で経済アナリストの森永卓郎さんは「挑発的なタイトルがつけられているが、中身は、リベラルと保守がどう違うのかをきちんと考えた本だ」と述べている。
米国でリベラルといえば、PCを重視しない人間や意見に対しては「不寛容」であり、それはおかしくないかというツッコミなどは許さない。リベラルのもたらす閉塞感からの解放が求められ、本音で語るトランプ大統領が誕生したといえなくもない。
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