「流しの新太郎」こと平塚新太郎さん。ギターを抱えて全国を渡り歩いて晩年は東京新宿・四谷荒木町に腰を据えた。2017年8月19日死去、74歳だった。
本書『流れて、流しの新太郎』は平塚さんの、60年にわたるさすらい人生の一代記だ。ノンフィクションライターの千都譲司さんが、聞き書きをもとにまとめた。
ベテランの「流し」として、何度か全国紙でも紹介されたことがある平塚さん。「自伝」を書かないかという誘いも多かったが、ずっと断ってきた。ところが、どういう風の吹き回しか4年ほど前、常連客で仲がいい千都さんに「生きてきた証しを残したい」と。寄る年波に加えて、平塚さんと千都さんの波長が合ったからだろう。
平塚さんは、過去のいろんなことを日記やメモの形では書き残してはいなかった。なぜなら、義務教育をきちんと受けておらず、読み書きがほとんどできなかったたからだ。
だが、記憶力はずば抜けていた。世話になった店の名前や人名をすらすら思い出す。「どんな字?」と聞くことはできない。千都さんが逐一、八方手を尽くして再確認しながら原稿に起こす。手間のかかる作業だった。
戦後の混乱で、親とはぐれて東京・上野で孤児になる。10代半ばでギターを手にして流しの世界に入り、レパートリーは3000曲。かつては都内だけで1000人もいたという流しは激減、今や10人足らず・・・これまでに新聞で報じられた流しと平塚さんのヒストリーの概略だ。本書では、さらにこってり、「本人が話すのを嫌がった」ことについても突っ込んで聞いている。
5歳か6歳で東京・下町の浮浪児グループに仲間入り。子供ながら血液銀行で血を売り、アタリ屋の手先になって車にぶつかる。スリの真似事もした。「今日のエサ」にありつくだけで精一杯の生活。ごみ箱が寝ぐらだった・・・。やがてヤクザの親分に拾われ、流しの部門に配属されてギターを覚える。一時は新宿二丁目で風俗業に手を染め、羽振りが良くなりすぎてにらまれ、北へ・・・。青森ではトラブルで簾巻きにされ、海に放り込まれたが、九死に一生・・・。
世の中の多くの人からすると、ちょっと驚くような波乱万丈の流れ者。東京・神保町のバーで右翼のドン・児玉誉志夫と親しくなり、「昭和維新の歌」をリクエストされたこともある。
沖縄以外の日本全国を回り、とくに岐阜には長く住んだ。マンションを買ったり、小料理屋を経営したりしたこともあった。新潟では占い師もやった。岐阜時代に、大水害を経験し、防災用品の開発・製造に乗り出す。阪神、東日本の大震災や、大水害、噴火のたびにグッズを抱えてボランティアとして現地に駆けつけた。
ケンちゃん、マサちゃん、アキちゃん。行く先々で通称は変わった。本名は平塚新太郎ではない。櫻井忠義だ。もう少し長生きしていたら、昭和の匂いが色濃く漂う数奇なドキュメンタリーとして、テレビや雑誌にも取り上げられ、メディアミックスで脚光を浴びたかもしれない。
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