五木寛之さんの『孤独のすすめ』がベストセラーに顔を出している。サブタイトルにもあるように、人生後半の生き方を説いた本だ。2年前の単行本『嫌老社会を超えて』を大幅に書き直し、加筆して新書にした。
長髪をなびかせ、万年青年のイメージが強かった五木さんも今年85歳。もはや何かにとらわれ、あくせくすることがない。人生を達観し、竹林の賢人のような含蓄に富んだ語りで、老境の心得を説いている。
佐藤愛子さんのミリオンセラー、『九十歳、何がめでたい』と同じように、本書もタイトルで、世間常識の逆を突いている。
歳をとると、伴侶や友人が亡くなり、寂しくなる。孤独になって落ち込まないように、地域活動やレクレーションなど参加し、なるべく積極的に他人とコミュニケーションを図りましょう・・・そんな「常識」に、五木さんは疑問を呈す。テレビ番組などで、九十代でもジョッギングや水泳や車の運転を楽しむ人などが取り上げられるが、できるのは特殊な人だけ。高齢になり、エネルギーが衰えているのに「前向きに生きろ」と言われても難しい。むしろ、「後ろを振り返り、ひとり静かに孤独を楽しみながら、思い出を咀嚼したほうがいい」と提案する。五木さんがとくに推奨するのは「回想」だ。
「回想は誰にも迷惑をかけないし、お金もかかりません」。歳を重ねれば重ねるほど、思い出の数は増えていく。いわば頭の中に、無限の宝の山を抱えているようなものだという。回想を習慣化することで、「錆びついた思い出の抽斗(ひきだし)が開くようになり・・・はたからは何もしていないように見えても、それは実は非常にアクティブな時間ではないでしょうか」
思い出の多い老後とは、当然ながら、起伏の多かった人生だ。たとえば五木さんのように。
戦後の混乱の中、朝鮮から引き揚げ、苦学を強いられる。早稲田大では授業料が払えず除籍。業界紙の記者やCM、テレビやラジオの構成作家など手当たり次第に様々な仕事をこなし、30代半ばになって、ようやく作家として認められ、『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞する。
エッセイ『風に吹かれて』や小説『青春の門』で人気を不動にしたが、充電ため、あえて二度の「休筆」。龍谷大学の聴講生となって仏教を学び直したりして、それが後年の「百寺巡礼」シリーズや、『親鸞』に生きた。ミリオンセラーのエッセイ『大河の一滴』では過去に2回、真剣に自殺を考えたことなども明かしている。
いわば波乱万丈、思い出だらけの人生を送ってきた五木さん。1975年から日刊ゲンダイで続くエッセイ「流されゆく日々」は、連載1万回を超え、ギネスに登録されている。
「生涯現役」のようにも見える五木さんだが、いま自分は人生を「下山」しつつある、「下りの景色」は来た道とは違う、「衰えを受け入れよう」「シフトダウンして生きよう」と語りかける。
マイナスイメージが強かった「孤独」に、プラスの意義を付与したのが本書だ。佐藤愛子さん風に言えば、「孤独で何が悪い」。高齢になり、家族や友人とも疎遠になって、静かに生きる「おひとりさま」、「さびしい老後」の人にとっては、人生の晩節を肯定されたような気になり、元気が出る本だ。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?