江戸の範囲について幕府は19世紀初め、江戸城を中心とした地図に朱色の線で境を引いて見解を示した。その地域は、北は板橋、千住(東京都足立区)、南は品川、西は代々木(渋谷区)、東は隅田川を越えて荒川沿岸の四ツ木(葛飾区)や平井(江戸川区)をカバーしていた。この朱引きの"大江戸"の各地を江戸文化研究者の田中優子さん(現法政大学総長)と写真家・石山貴美子さんが訪ね、時代の名残りを発掘している。
「江戸探索本」は多いが、著者が歴史家で、カメラマン同行というところが類書と異なる。
「第一景 鎮魂の旅へ」から「第八景 郊外をめぐる」まで、テーマにわけて、史跡などで知られている名所のほか、知る人ぞ知る場所を、史実や意外なエピソードを交えて紹介する。
「第六景 風水都市江戸の名残」によると、江戸城を中心とした「江戸」の造りは「風水で守られた平安京と同じ構造に」仕立てられている。本来は「山」が北に求められるが、富士山があるので西を「北」と考え、本来は西に置く「虎の門」を「南」の門にし、東側に大手門をつくって「南」とした。こうしたことを知れば、実際に訪ねても、あるいは地図で確認しても楽しめる。
同じ「第六景」には、江戸城が今も残る寺に守られている構造が紹介されている。東北側の寛永寺や浅草寺、その反対側にある増上寺など。かつては上野の山一帯が寛永寺であり、増上寺は「芝公園、東京プリンスホテル、東京タワーを入れてもまだ足りない」ほどの広さがあったという。
「第一景」では、刑場があった「千住小塚原回向院」から「第二景 賑わいの今昔」で吉原や浅草をめぐり、「第三景 隅田川の流れに」では、深川や向島などの現代の下町を歩く。そのほか「第四景 華のお江戸をもとめて」では日本橋などを、「第五景 川と台地と庭園の地」では湯島~神田、本郷、小石川を訪ねて「第七景 面影橋から牛込へ」に至る。最終「第八景 郊外をめぐる」では、東側の柴又や王子と南側の品川、そして、小塚原と並ぶ刑場があった鈴ヶ森でしめくくられる。
江戸の名残りが点在する東京だが、田中さんは微妙な違和感も感じたようだ。門前仲町の富岡八幡宮の背後に高層ビルが並ぶ光景にこう述べている。「私はパリを思い出していた。歴史を表現するパリの核の部分には高層ビルを建てさせない。高層ビルは周辺の決まった地域に建てられている。そういう配慮は東京にはない。その象徴に思えた」
パリは時代を経てもパリだが、江戸と東京は別物という見方も本書は教えてくれる。
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