元エリート裁判官と辣腕取材記者の"対談"の体裁をとっているが、この本はそんじょそこらの対談本とはワケが違う。「桶川ストーカー殺人事件」で真相を掘り起こすなど、事実を追い続けるジャーナリスト清水潔氏が正義の告発者と出会い、これまで語られることがなかった"聖職者の聖域"の闇を白日の下に晒した第一級のノンフィクションに仕上がっている。
永田町の政治家や霞が関の官僚を聖職者だなどと考える国民は、いまやごく少数だろう。それほど多くの事件やスキャンダルが暴き出されている。しかし、三権分立の"最後の砦"である司法だけはまだ多くの国民から"正義の府"として信頼されている。事実、私もそう考えていた。だが、本書を読むと裁判所の正義もかなり怪しいことがはっきりとわかってしまう。
本書の序盤は、法廷で壇上に立つ黒い法服の下にはどんな服を着ているのか、私服に着替えたらどのような生活をしているのか、どのように通勤して給与はどのくらいなのかなどの、生活一般にまつわる疑問がぶつけられる。瀬木氏はこれらの質問に真摯に答えていく。ちなみに法服の下は普通は背広にネクタイ。特に裁判官会議などではネクタイをせずに出席したらそれだけで出世の見込みがなくなる世界だという。また法服を着たままトイレに入ってはいけないという決まりがあるなど驚きの連続だ。だが、それはあくまで"序章"だった。
同期との激しい出世競争にさらされる彼らは、実績を上げるため処理件数を増やそうとする。そのため無理に和解に持ち込んだり、判決文は類似判例をコピペしてつくったりする裁判官さえいるというくだりでは開いた口がふさがらなかった。中でも驚いたのは、教科書にも書かれていた「司法権の独立」が怪しい状態にあることだった。最高裁は「統治と支配」の根幹に触れる案件では現状を守り、それ以外では世論に流された判決を出す傾向があるという。これでは独立どころか、権力や評判におもねる判決しか出ないだろう。原発再稼動差し止めの判決をした裁判官が懲罰人事のように左遷されたなどという話を読んだら、もう何を信じていいのかわからなくなってしまう。
こんな調子で次々と明かされる驚愕の事実を読み進めると、さすがに暗澹たる気持ちになってしまう。個人的に恐怖を感じたのは「スラップ訴訟」だった。反対派や敵を恫喝することを目的に高額の名誉毀損損害賠償金請求訴訟を起こす訴訟のことだ。米国にはこれを規制する法律があるのに、日本にはないという。暗い気持ちにならないわけがない。
このように読後感は決してよくはないが、瀬木氏がいうように「せめて司法だけでも立て直さなければ、絶対にいけない」と、本書を読めば誰もが痛感するはずだ。国民必読の一冊といっても言い過ぎだとは思わない。
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