著者の西部邁氏の名を一躍高めたのは、東大教養学部の教員に中沢新一氏をスカウトしようとしたが、学内の一部からの反発によって頓挫、責任を感じて東大教授の職を辞した一件であろう。その後保守知識人の代表格としてテレビ出演をこなし、雑誌「発言者」(現在は「表現者」)を主宰し、独自の言論活動を展開してきた。学生時代は60年安保にも深く関わった経歴もあり、右からも左からも攻撃される、いわば孤高の思想家である。
「ファシスタ」は英語では「ファッシスト」(結束者)であり、なにやら剣呑な題名だが、「他者と繋がることを心の(全部ではないものの)中心部の一点で、ひそかにせよ願望してきた」と記している。他者と繋がることを望みながらも、少年時代から今日まで独歩の人生を貫くしかなかった著者の自伝であり、思想的エッセーだ。「ほとんどすべての文章をエッセイ(自分への試験の文)として執筆してきたつもりではあった」と書いているが、本書に限らず、西部氏の著作はみな抜身の日本刀のような切れ味を感じさせる。
引用したい箇所は山ほどあるが、とりあえずというむすびの一節を紹介したい。
「人間の精神なるものは、『平凡なことが最も非凡なのだ』、『歴史は、時代にあっても人生にあっても、人々がコモン(普通)に持ち合わせる平凡なセンス(感覚・知覚)にもとづいてこそ、つまりコモンセンス(常識)を貫いてこそ、後生に継承可能な読み物となるという非凡な物語なのだ』という単純な事実を確認するために大騒ぎをいつの世でも演じて止むことのない滑稽な代物であるらしい、と考える一匹のヒューモリスト(人性論者)がここにいたということをこの一連の文章から感じとってもらえば有り難い」
巻末には「結語に代えて」と題し、「天皇論」「信仰論」が収められている。
長年、著者の本を読んできたが、今回はとりわけ「覚悟」のようなものが伝わってきて襟を正した。
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