2023年10月のアニメ化が決定した話題の作品『薬屋のひとりごと』。中華風の架空の王朝を舞台に、薬屋の少女・猫猫(マオマオ)が知識と好奇心で事件を解決していく物語だ。原作者の日向夏さんが、アジア最大級の東洋学研究図書館の本たちと出会ったら?
福岡県在住の日向夏さんと、東京都駒込の「東洋文庫」をオンラインでつないで、『薬屋のひとりごと』大ファンの学芸員・篠木由喜さん、奨励研究員・多々良圭介さんとの対談が実現した。今回案内したのは、東洋文庫ミュージアムで現在開催中の「東洋の医・健・美」展(会期:2023年9月18日まで)だ。
前編では、中国最古の薬物学書や食に関する本を見て回り、驚きの『薬屋』誕生秘話が明かされた。後編では、さらに専門的な医学書や化粧に関する史料が登場する。さらに、作品世界についての意外な事実も......?!
『薬屋』にも登場する検死のシーン。展示には、中国の検死にまつわる貴重な史料も公開されている。
多々良 中国の検死は古くからおこなわれていましたが、知識が体系化され出したのは12~13世紀。南宋の時代です。こちらの『補註洗寃録集証』は、満洲人が建国した清朝が19世紀にオフィシャルで作った検死のマニュアル本です。中国史上、いや、世界史上初めての公式検死マニュアルと言ってもいいかもしれません。ちなみに、近代以前の中国の検死は現代のように司法解剖は行われず、死体の表面にできた傷の調査が中心でした。
篠木 『薬屋のひとりごと』には解剖のシーンがありますが、作品世界ではタブーとされていて、医官たちの解剖実習もこっそりおこなっていますよね。完全に口伝という設定なんでしょうか?
日向夏 そうですね。表向きには皇帝にダメと言われたら禁忌になるので、図録などには起こせません。見つかったら処罰されてしまうので、見て記憶しろ、と。それでいて手術はしろという無理な話なんですが、それが『薬屋のひとりごと』の世界です。
多々良 実際の中国では、少なくとも解剖はおこなわれていたようです。美術史家のタイモン・スクリーチさん著『江戸の身体を開く』(作品社)に、日本に伝わってきた内景図(道教の立場から人体内部を描いた図)が載っていますが、臓物の位置は正確です。西洋の解剖絵図のように生々しい筆致ではないですが、中国でも身体の中は見ていたということですね。
特に今気になる、感染症の予防接種についての本も展示されている。『引痘新法全書(引痘略)』だ。
多々良 天然痘の予防接種を解説しています。『薬屋のひとりごと』でも触れられていますが、もともとおこなわれていた感染者のかさぶたや膿などを使う「人痘」は、接種した人も天然痘にかかってしまうリスクがありました。18世紀の終わり頃、西洋で「牛痘」という安全な方法が確立されます。中国には、19世紀の最初期に入ってきました。それがこの本です。
篠木 右のページがメスの絵です。メスで皮膚を傷つけて、そこから牛痘を入れます。『薬屋のひとりごと』でも、最新の章では感染症の話が出てきますね。
日向夏 そうなんですよ。もう少し踏み込んで書くつもりだったんですが、コロナ禍の間はやめておこうということで......。状況が落ち着いたら新しい研究データがたくさん出てくると思うので、それを参考にして書きたいです。いつになるかわかりませんが。
篠木 なるほどそうですよね......。うーん、ぜひこの、本当にただの小型ナイフに見えるメスで猫猫の友人たちが震え上がりながら予防接種しているシーンも登場させてほしいです!
最後は「美」。日向さんが事前にぜひ見たいと話していた『粧眉作口伝』など、江戸時代の化粧の本や、翡翠でできた美顔ローラーなども展示している。
篠木 『薬屋のひとりごと』には、後宮や花街の女性たちの美容に関する描写もありますよね。どんな史料を参考にされたんですか?
日向夏 明代の妓女の伝記を書いた『板橋雑記』(平凡社)という本が参考になっています。南京の花街の妓女たちの化粧のし方、楽器などについて書いてあったんですが、読み物として面白いです。南京にはかつて科挙の地方試の試験会場があって、その近くに花街があった、なんていうことも書かれています。息抜きや合格祝いで行っていたんでしょうかね。
多々良 面白いですね。『薬屋のひとりごと』の馬良(バリョウ)というキャラクターは科挙に合格していますが、もしかしたら連れて行かれていたかも。
篠木さんと多々良さんが気になっているのは、『薬屋のひとりごと』の世界の地図だ。日向さんの頭の中では、壮大な作品世界がどのように描かれているのだろうか。ここで意外な事実が判明する。
篠木 日向夏先生のTwitterから、「地図(仮)」というのを発見しました! この三角形がいっぱいあるところが山脈ですよね。こんなふうになってるんですね......。
日向夏さんTwitter(@NaMelanza)2023年2月6日のツイートより
日向夏 実はこれ、福岡県の地図の一部をトレースしたものなんです。
篠木・多々良 ええ!?
篠木 この国境みたいなのも......?
日向夏 福岡県の市町村をなぞっただけです。もし書籍に載せる機会があったら描き直します(笑)。
多々良 道理でリアルだと(笑)。外はぜんぶ海ですか?
日向夏 そうです。
篠木 じゃあ砂欧国めちゃくちゃ重要ですね!? 陸路だとここを通らないと東西世界の行き来ができない。
日向夏 そうですね。砂欧は重要すぎてスイスみたいになってます。
多々良 誰も手出しができない中立国なんですね。山脈の北側は「北亜連」と呼ばれる地域ですよね。モンゴルあたりでしょうか?
日向夏 北亜連はいくつかの国の集まりで、かつてのソビエト連邦をイメージしています。山脈のあたりは遊牧民系ですが、他はロシア系の人もいて、いろいろです。でも、モンゴロイドよりはコーカソイドですね。砂欧の向こう側はヨーロッパ的なイメージです。あくまで創作なので実在の人物、地名は関係ありませんとお伝えしておきます。
篠木 そして緑色に塗られているのが、猫猫たちの住む茘(リー)国ですね。
日向夏 茘国は海岸沿いが北欧のフィヨルドみたいになっていて、海から攻め込みにくい地形です。侵略しやすい国は、ピンク色の亜南国以外は吸収し尽くしていて、他は山脈に囲まれているので、大きくなったけどそれ以上は広げられない地形ですね。地学的にありえる地形かどうかは、まあ大目に見ていただきたいです。
多々良 山脈が天然の万里の長城になっているんですね。亜南国はなぜ独立したままなのですか?
日向夏 条約を結んで属国になるのを選んだんですかね。茘国からすると、他国が海から狙ってくるとしたら、攻め込みやすい亜南を先に狙うじゃないですか。襲われる場所を先に作っておく意図もあります。
多々良 なるほど、緩衝国ということですね。
篠木 ちなみに、茘国ってすごく綺麗な名前ですが、なんで茘なんですか?
日向夏 ライチが好きだからです。
篠木 あら(笑)。私も好きです。
日向夏 食べ過ぎて鼻血出してました。
篠木 そう! あれ食べすぎると鼻血出るんですよね......。
最後に、篠木さんがどうしても聞いておきたいことが。
篠木 猫猫に特別な興味を抱く超美形の宦官・壬氏(ジンシ)と、はじめのうちは壬氏を邪険に思っていた猫猫の、もどかしい関係性が大好きなんです。2人はまさに物語の中心ですが、これから先、猫猫と壬氏は幸せになりますか......?
日向夏 そうですね......。幸せの形はどうであれ、猫猫は自分が納得する生き方をすると思います。読者の方にとってそれがハッピーエンドかどうかはわかりません。
篠木 うわ~~っ、そうかあ......猫猫はきっと大丈夫だと思うけど、壬氏がんばって......。この先の展開、楽しみにしてます!
こうして幕を閉じた東洋文庫オンラインツアー。後日、日向夏さんが東京を訪れた際に、ミュージアムに足を運んでくれたそうだ。
もしかしたら、「東洋の医・健・美」展の史料にまつわる何かが、この先『薬屋』に登場するかも......? 原作もマンガもアニメも、楽しみで待ちきれない!
「東洋の医・健・美」展
【会期】2023年5月31日~9月18日
みなさま、日々健やかにお過ごしですか。身体に痛いところはありませんか。昔より風邪が治りにくくなった、漠然とした病気への恐怖に日々怯えている、そんなことはありませんか。
本展では、古来アジアの人々がどのように、不調や怪我、病気と向き合ってきたのかを、東洋文庫が所蔵する医療史の名著でたどります。この企画展が、あなたの知的好奇心を満たすサプリメントのようになれば嬉しいです。
〈東洋文庫〉
1924年に三菱第3代当主岩崎久彌氏が設立した、東洋学分野での日本最古・最大の研究図書館。国宝5点、重要文化財7点を含む約100万冊を収蔵している。専任研究員は約120名(職員含む)で、歴史・文化研究および資料研究をおこなっている。
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