「キャンセルカルチャー」ということばをご存じだろうか。
ここ数年、「キャンセルカルチャーは良くない」「これはキャンセルカルチャーなのではないか」などとメディアやネットで頻繫に使われるようになったこのことばは、2020年代のアメリカ(や日本・ヨーロッパ)を象徴する言葉の一つとして扱われている。
10月18日に発売された『キャンセルカルチャー アメリカ、貶めあう社会』(小学館)は、「キャンセルカルチャー」ということばを軸に、その背景にあるアメリカ社会の構造を徹底的に掘り下げた1冊。
著者は上智大学教授・前嶋和弘さん。前嶋さんはメディアの取材に、「キャンセル」の意味を「多様性や公正を求めて、従来の文化や伝統、習慣などを否定し、消していくこと」「人種やジェンダー平等などの観点から、不適切な言動を否定し、ボイコットすること」と答えている。
アメリカでは、いま「キャンセルカルチャー」と呼ばれている概念は少し前まで「ポリティカル・コレクトネス」と呼ばれていた。前者が後者にかわって人口に膾炙するようになったのは、2020年7月にトランプ前大統領がラシュモア山で行った演説からだという。
当時アメリカでは、ラシュモア山にある4人の大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズベルト)の胸像の撤去を求める声が高まっていた。彼らは「アメリカの英雄」として尊敬を集めていたが、同時に、劣等な遺伝子を排除する優生学を信奉したり、先住民を虐殺したり、黒人奴隷を所有したりもしていたからだ。
トランプ前大統領はこのような動きを、これまでの文化を否定する「キャンセルカルチャー」として非難し、運動参加者を「われわれのもっとも神聖な記念碑を汚そうとする怒れる暴徒」と罵倒。さらには、公共の銅像や連邦記念物への破壊行為を行った者は10年の禁固刑に処するという、記念碑の保護に関する大統領令まで決めた。前嶋さんによれば、この事件をきっかけに、保守派による「キャンセルカルチャー」への攻撃も始まったのだという。
「ホテルの予約をキャンセルする」というように「これまでやってきたことをやめる、否定する」ことを「キャンセルする」ということばで形容した使い方は、まず黒人コミュニティで使われ、1970年代に人気を集めた名ギタリストのナイル・ロジャース率いるファンクバンド「シック」によって広められたという。
「シック」には「ユア・ラブ・イズ・キャンセルド(Your Love is Cancelled)」という歌があり、そこで「キャンセル」は「お前への愛は終わった」とジョークのように使われていた。しかし、もともと軽い言い回しの中で使われていたこのことばは、普及から40年ほどたったいま、強い怒りの表現に、しかも黒人を中心としたブラック・ライブズ・マター(BLM)運動を揶揄する表現に変貌してしまったのだ。
前嶋さんは、このような「キャンセルカルチャー」と、それに対する攻撃の盛り上がりを「作用と反作用」という言葉で例えている。
(前略)これまで問題があった悪弊を見直していくことこそ、進歩であり、差別反対の観点から、歴史上の人物の行為に対してメスが入るのも歴史的な必然にもみえる。社会改革の動きが顕著になれば、保守派のキャンセルカルチャー批判もより鮮明になる。作用と反作用の動きがどんどん増幅しているのが、いまのアメリカだ。「キャンセルカルチャー」という、このことばを取り巻く動きの根幹にあるのは、多様性という価値観をめぐるアメリカ国内の分断にほかならない。
ほんとうに歴史を清算するのか、できるのか。「キャンセルカルチャー」ということばで線を引かれた両陣営は、どうしたら対立を乗り越えられるのか。本書はBLMをはじめ、銃規制、同性婚、ダイバーシティ、妊娠中絶、移民など数々の社会問題を、わかりやすく丁寧にときほぐしている。
「キャンセルカルチャー」に関する議論は、日本でも盛り上がっている。アメリカ政治を専門とする前嶋さんが、ある意味「分断先進国」であるアメリカの状況を分析した本書は、私たちの未来予想図になるかもしれない。2020年代の社会を考える上で必読の一冊だ。
■前嶋和弘さんプロフィール
1965年静岡県生まれ。上智大学教授。専門は現代アメリカ政治外交。上智大学外国語学部英語学科卒、ジョージタウン大学大学院政治学部修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学部博士課程修了(Ph.D.)。編著に『現代アメリカ政治とメディア』(東洋経済新報社)、『オバマ後のアメリカ政治 2012年大統領選挙と分断された政治の行方』(東信堂)ほか。テレビやラジオ、インターネット媒体でも積極的に発言を続けている。2022年よりアメリカ学会会長。
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