日本で書かれ、日本で発売されたのにも関わらず、日本人が知らないところで大きな人気を集めている本がある。
その香港を舞台にした一冊の本は、2019年末に日本で出版された。 担当編集者によれば、香港のインフルエンサーなどの拡散によって現地で話題になり、親香港の在日中国人や訪日香港人から「爆売れ」とも呼べるような大きな反響があるという。 本のテーマは、「2019年香港民主化デモ」だ。
2019年夏、香港で大規模な民主化デモ運動が起きた。
きっかけは「逃亡犯条例」改正案採決に対する反対運動である。
逃亡犯条例とは、香港以外で罪を犯した容疑者をその当該国に引き渡すことができるようにする条例だ。
中国はイギリスの統治下にあった香港に対して「一国二制度」を適用し、高度な自治を認めている。その一方で、近年は中国政府による香港への介入が見受けられ、2012年の国民教育法に反対するデモ運動や、2014年の雨傘運動など、たびたび政府と市民の間で衝突が起きていた。
そして2019年、台湾での殺人事件をきっかけに逃亡案条例の改正が審議に入った。改正内容は中国本土、マカオ、台湾と香港の間で、容疑者の引き渡しが可能になるというものである。これに反発したのが、香港に住む市民たちだった。
罪を犯した人を引き渡すことに、なぜこんなにも市民から反対の声が上がるのか?
それは、改正によって、香港市民が中国当局の取り締まり対象になる恐れがあるからだ。
これは一国二制度を根幹から揺るがす事態であり、言論をはじめとした自由が失われる危険性がある。2015年には中国共産党に批判的な本を置いていた香港の書店店長が相次いで失踪・拘束される事件が起きており、香港における言論の自由が揺るがされていたのも事実だ。
2019年6月9日に行われた3回目の大規模デモでは103万人が参加。中国返還後、過去最大のデモとなった。しかし、それでも動じない政府に対して、6月16日、香港史上最大の200万人が参加するデモが行われた。これは人口750万人の香港において驚異的な数字だ。
ここから2020年の現在に至るまで、市民と政府の民主化をめぐる戦いが繰り広げられている。
日本でも応援と批判の声さまざまが上がっているが、デモの現場で起きていたことはなんだったのだろうか?
香港在住の日本人で、200万人デモから参加し続けている秋田浩史さんが手がけた『漫画 香港デモ 激動!200日』(倉田徹解説、TOA漫画、扶桑社刊)は、その生々しい様子を追体験することができる。
デモで激しいぶつかり合いが起きている現場は、一言で言えば「地獄絵図」だ。デモ隊の中でも特に過激な暴力も辞さない「勇武派」による破壊活動だけではない。2019年7月21日、中国政府がデモ鎮圧のため、「三合会」という地元の暴力団(香港では「黒社会」と呼ばれる)を使ってデモ参加者や現場となった元朗駅に居合わせた人を襲撃したという疑いがある。
なぜそんなことをするのか。デモ鎮圧のために人民解放軍を出動させると、中国政府は世界中から非難と制裁を受けることになる。だから、黒社会にデモ隊を襲撃させたのだ。ちなみに、襲撃のあった日の夜、香港の親中派議員である何君堯氏が暴力団と握手を交わす動画が捉えられており、非難の声があがっている。
また、襲撃があった際、現場の市民たちは警察に通報したがつながらず、直接警察署まで行って訴えた住民も追い返されたという。さらに警察幹部と暴力団メンバーが話し合う動画などが撮影されるなど、もはや警察すら信用できない存在になっているのが、現場の生々しい現実なのだ。
2011年に起きたアラブ諸国の民主化運動で、市民たちを束ねたのがソーシャルメディアだった。この香港の民主化デモにおいては、香港人同士の間に「デモ支持派」と「警察派」の分断がソーシャルメディア上で見られるようだ。
2019年8月に行われた香港のインターネット調査では、「最近、政治的意見の対立で友達と喧嘩した」という回答が45%にのぼり、Facebook上では「unfriend」(友達関係を切ること)が日常になっている。
また、ソーシャルメディア上の論争に日本人が巻き込まれることもある。現地デパートに出店しているショップの日本人スタッフがFacebookに「デモのたびに店が閉店になり売り上げが落ちて困る」「勇武派の警察への攻撃や破壊活動はもはや暴力で認められない」など、デモの批判を書き込んだところ、その投稿内容がシェアされ、ネット上で不買運動が呼び掛けられたのだ。
◇
デモは激化すると、交通はマヒし、市民の生活に大きな支障が出る。
警察の武力行使のレベルは上がり、2019年10月1日には「相手が鉄製で攻撃性のある武器を持っていた」ということから実弾発砲が行われた。撃たれた高校生は重傷を負ったが、彼が持っていた武器はプラスチック製の棒だった。
そして、2019年11月、このデモで初めての死者が出る。
興味深いのは、解説を執筆した政治学者の倉田徹氏による「リーダーなきデモ」という指摘である。
破壊活動や警察と衝突をする「勇武派」は、全身黒ずくめの服に、ゴーグル・ガスマスクを装備している。このシンボリックないで立ちは確かに目立つものの、特定の誰かを引き立てるものではない。
また、デモ参加者たちはネット上で議論し、情報を交換して瞬時に運動を形成し、臨機応変に姿を変える。リーダーがいないこのデモは、全く新しい形のデモだと倉田氏は述べる。
『漫画 香港デモ 激動!200日』は香港民主化デモの複雑な経緯や、生々しい現場を漫画で知ることができる一冊。現地でしか分からないことが、この本に詰まっている。
暴力は断じて許されるものではない。だが、暴力がなければ成す術がないという事情も、この本からは見え隠れする。暴力が暴力を生む。その連鎖は片方が屈するまで続いていく。
ここで掬い上げられている香港の人たちの言葉を私たちはどう受け止めるべきだろうか。それを、読者ひとりひとり考えることが、民主主義の成熟のために必要なのだろう。
(金井元貴/新刊JP編集部)
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