“博多の歴女”として、日本各地で講演をしている白駒妃登美さんは、講演後の懇親会では、「歴史は今まで嫌いだったけれど、興味がわきました」「白駒さんが歴史の先生なら、もっと歴史を好きになれたのに……」といった感想をいただくことが多く、それと同時に、人生相談にのることもしばしば。その中で圧倒的に多いのが、人間関係についての悩みです。
人生相談のやり取りをしながら白駒さんが思ったのは、歴史に名を残した先人たちのことです。
彼らは、男女を問わず周囲の人たちに愛され、応援された、いわば“愛され上手”。その結果、歴史に名を刻むような偉業が達成できたのです。
だとすると、彼らが“愛され上手”になれた秘密を知り、真似すれば、私たちの人間関係の悩みも激減し、その結果、仕事や人生が好転するに違いありません。では、どうすれば“愛され上手”になれるのでしょうか?
そんな疑問から、白駒さんは講演で訪れた土地の歴史館や資料館に足を運び、地元で 愛される先人たちの足跡をたどってみました。
その結果、さまざまな「モテの方程式」がわかりました。
そのひとつが、「魅力×隙=ギャップ」です。ギャップを生むのは、短所や欠点。例えば、坂本龍馬は自分の欠点を隠すことなく、周囲の人たちに見せていました。
その欠点は、「音痴」。
京や長崎の色町で、いつも機嫌よくお酒を飲みながら、音痴な龍馬が恥ずかしげもなく、気持ちよさそうに歌っている。その姿が人々を惹きつけ、人気者になっていったのです。
そんな龍馬率いる海援隊のいろは丸が、紀州藩所有の明光丸と激突、沈没した時のことです。
主な事故原因は明光丸側の操船ミスなのですが、相手は大藩であり、しかも徳川御三家のひとつです。下手をすれば、幕府の威光を振りかざす紀州藩のペースにのせられ、海援隊側が泣き寝入りするような事態に陥るかもしれません。
そこで龍馬は、一計を案じました。長崎・丸山の芸妓たちの助けを借りて、「船を沈めた紀州藩はつぐないをせよ」という趣旨の歌を流行らせたのです。もちろん、音痴の龍馬が率先して歌ったことでしょう。
自分が長崎の人々に愛されていることを十分知ったうえで、人々が覚えやすい歌を使って世論操作をしたんですね。
その結果、紀州藩から海援隊を管轄する土佐藩に、多額の賠償金が渡ったのです。
自分の欠点をモテに変えた、見事な実例といえるでしょう。確かに、自分の欠点を恥ずかしがらずに、みんなの前にさらけ出す人って、周囲から愛されますよね。
職場では無口な人が、飲み会では一転して大声ではしゃぐ。こんなギャップも、魅力の一つになります。
このような、先人たちの「モテの方程式」とエピソードをまとめたのが、『愛されたい!なら日本史に聞こう』(祥伝社)です。
坂本龍馬をはじめ、豊臣秀吉や吉田松陰などの歴史的偉人のモテ・テクニックが紹介されています。“愛され上手”になれば、仕事も人生も変わります。
(新刊JP編集部)
【関連記事】
・
蓮さまの兄は男色家? 吉田松陰の妹はブス? 週刊誌感覚でわかる“乙女の日本史”・
教科書に書いていない歴史の裏側・
日本で一番有名な、“うん○”を漏らした武将は?・
日本の研究者たちが本当の中国の姿を書けない理由音痴が土佐藩の窮地を救った!? 偉人たちに学ぶ“人生変える愛され”テク