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ノーベル「工学賞」はなぜないのか?

ニュートンに消された男 ロバート・フック

 「ニュートンに消された男」という刺激的なタイトルにひかれ手にした本書。『ロバート・フック ニュートンに消された男』として1996年に発行され、大佛次郎賞を受賞した単行本が、このたび『ニュートンに消された男 ロバート・フック』と改題され文庫化されたものだ。著者の中島秀人さんは東京工業大学教授の科学史家だ。

 フックの名前は「バネの伸びは、それに加えられた力に比例する」という「フックの法則」で聞いたことがあるだろう。また植物の細胞を発見したことでも知られる。17世紀の英国で活躍し、力学と生物学でその業績が今日まで伝えられるフックだが、その肖像画は一枚も残されていない。死後に彼の論敵だったニュートンが学界から消していったからだ、という大胆な推論がタイトルのゆえんだ。

 本書の発行後、2003年に英国で『ロバート・フックの奇異な生涯』という本が出て、カバーにフックの肖像がカラーで印刷されるという「事件」があり、中島さんも驚いた。だがそれは誤りで、今日までフックの顔はわからないままだ。

 フックの業績は多岐にわたる。1665年『ミクログラフィア』(顕微鏡観察誌)を出版、精密に描かれたノミの巨大な拡大図は人々を驚かせた。さらにコルクの断面を観察、無数の小部屋(cell)で出来ていることを発見した。植物細胞の発見者とされる。さらに気体、力学、天文学、時計の研究と、その対象は幅広く、「17世紀のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と中島さんは呼んでいる。

 フックは英国の王立協会の実験主任であり、いくつかのカレッジ教授だった全盛期に、新人のニュートンが光と色の新理論を掲げ登場した。フックはニュートンを辛辣に批判した。光の粒子説を唱えるニュートンと波動説を弁護するフックの対立だった(アインシュタインの登場まで対立は続いた)。格の違いもあり、若いニュートンは本の出版を断念した。ニュートンは論争を恐れ、「私は、論争を起こしかねないような事柄に関してペンをとることには、成人したあらゆる人間のうちでも最も尻込みする者です」と友人宛の手紙に書いたという。

 その後研究を進め、1687年物理学史上最も偉大な著作とされる『プリンキピア』を出版する。ところがフックは自分の理論をニュートンが剽窃したと言いがかりをつける。ニュートンは無視したが、対立は決定的となった。

 『プリンキピア』は学界から評価を受けただけでなく、中島さんは「世俗社会で出世するためのチャンスをもつかみつつあった」と書いている。英国の名誉革命(1688年)にニュートンが貢献したとして、その後造幣局長官、王立協会会長、さらに科学者として初めてナイトに叙せられた。

 ニュートンの上昇と対照的にフックの運命は下降、1703年に亡くなる。1710年、王立協会会長のニュートンは協会を移転、その際フックの肖像画が行方不明となった。「フックの肖像画を焼くニュートン、その姿を思い浮かべるのは、ひどい誇大妄想だろうか?」と終章に記している。

 本書は中島さんが文部省の在外研究で1年間ロンドンに滞在した成果の賜物だという。大学人として最初に職を得た東京大学先端科学技術研究センター(先端研)は、工学部を母体としていたが、理学部系の研究者も小数いた。両者の行動や発想は、まったく反対なことに驚いたという。ちなみに科学史専攻の中島さんは「文科系」を自称する。そして、ある疑問を持った。「産業の基礎を額に汗して築いている工学部の人々の社会的地位が、理学部の研究者に比べて低いのはなぜか?」「ノーベル工学賞はなぜないのか?」ということだった。

 実験器具などを自作したフックと理論でぐいぐい推していったニュートンの違いは、工学と理学の違いではないか、という中島さんなりの仮説を検証したのが本書ということになる。そして日本の科学技術の発展のため、実験科学と実学的科学(工学)の復権を唱えている。  

  • 書名 ニュートンに消された男 ロバート・フック
  • 監修・編集・著者名中島秀人 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2018年12月25日
  • 定価本体1080円+税
  • 判型・ページ数文庫判・360ページ
  • ISBN9784044003906
 

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