哲学と聞いただけで頭が痛くなり、めまいがする――そんな人は少なくないだろう。「純粋理性批判」とか「絶対矛盾の自己同一」とか、もう勘弁してくださいと。
本書『考えるとはどういうことか』(幻冬舎新書)は「哲学者の名前が1人も出てこない哲学入門!」がうたい文句だ。よし、それなら手に取れそうだ、と思った人が多いのか、この種の本の中では売れ行き好調のようだ。
著者の梶谷真司さんは1966年生まれ。京都大学哲学科卒。同人間・環境学研究科博士課程を修了し、現在は東京大学大学院総合文化研究所の教授。専門は哲学、比較文化、医学史。研究テーマは現実の多元性、身体と感情、近代化だという。著書に『シュミッツ現象学の根本問題』などがある。
この経歴と、研究分野を聞いただけで、またまた頭が痛くなりそうだが、本書はつとめてやさしく書かれている。「哲学」についての「食わず嫌い」を減らしたい、との思いがあるようだ。
サブタイトルに「0歳から100歳までの哲学入門」とある。なぜ「0歳」からなのか。赤ちゃんは字が読めないじゃないの、という疑問があるだろう。著者は待ってました、とばかりに「0歳から」にした理由を語る。
「『0歳から』にしたのは本気である。0歳の赤ん坊は、じゅうぶんに哲学に貢献できるからだ」「子どもは生まれた直後から、親だけでなく、大人を哲学的にしてくれる。生命の不思議、命のか弱さと力強さを感じさせてくれる。社会性が全く欠如した、いや、社会性を超えた存在として、私たちに常識の限界を知らしめてくれる」
つまり大人を触発してくれる存在として、0歳児も哲学に参加できるし、しているというわけだ。
では100歳はどうか。著者は「老いもまた、人を哲学的にしてくれる」と説く。
「命の終わり、人生のはかなさ、空しさを痛感させてくれる。抗っても確実に病み衰え、次第に社会から疎外され、忘れ去られていく」「減り続ける未来の中で、自分の成し遂げたこと、やり残したことを振り返る。最終的に人生を意味づけるのは何か・・・老いたからこそ考えなければならないことがたくさんある・・・そうした問いもまた、深い哲学的次元をもっている」
哲学には一人で悶々とするイメージが付きまとう。著者が推奨するのは「対話」だ。
「『よく考える』ためには、 ひとり頭の中だけでモヤモヤしていてもダメ。 人と問い、語り合うことで、『考え』は広く深くなる。その積み重ねが、息苦しい世間の常識、思い込みや不安・恐怖からあなたを解放し、あなたを自由にしてくれる――」
本書はそのような「方法論」を説く。「何を言ってもいい」「ただ聞いているだけでもいい」「わからなくてもいい」と「いいこと」づくし。ただし、「人の言うことに対して否定的な態度をとらない」「知識ではなく、自分の経験にそくして話す」などのルールはある。
本書にはそうした「哲学的対話」のための会場の選び方、グループの分け方と座り方、なども例示されている。このあたりも懇切丁寧だ。
この方式での哲学談義は、すでにアメリカなどでは行われているそうだ。著者もハワイで小学校と高校の「子どものための哲学」に参加して知ったという。海外の授業方式から学ぶという先例では、サンデル教授の「白熱教室」が有名だ。はたして「哲学教室」も人気になるか――。
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