タイトルが気になるのは、評者一人ではあるまい。『〔復刻版〕一等兵戦死』(ハート出版)。書店で目に入り、手に取った。戦死という「文字の力」だろうか。そうではなかった。戦死を思わせるものは、刊行物、映画、ドラマにあふれている。近ごろではニュースにも頻繁に登場する。
「文字の力」の正体は、読み始めてほどなく分かることになる。「○○一等兵戦死」。戦線で兵士が倒れた際、そばの者が、姓、階級そして戦死を報告する。これらが積み重なった名前の力なのだと思った。
著者の松村さんは、1984年に死去している。元大阪毎日(現毎日)新聞の記者で徳島市出身。のちに徳島新聞に移り、編集局長、四国放送社長なども歴任した。日中戦争が始まってすぐの1937(昭和12)年に24歳で応召。秋に上海の前線へ移動して負傷し、除隊して翌年、帰還する。
本書には表題作のほか、その下敷きになったと思われる「戦線の序章」「僕の参戦手帖から(1)」「僕の参戦手帖から(2)」が表題作の前に収められている。
以下は本書から。
――休ゥ憩ィー
......僕たちは泥濘の中にばたばたと坐り込んだ。畑土に仰向けに寝て、秋雨に顔をたたかれていると、涙が流れ出した。
「俺はな」
大山上等兵が大きな手のひらでぶるんと顔の雨つゆを払って
「いま、何がいちばんしたいかと考えているんだ。白い米の、ぬくぬくとした飯を沢庵で茶漬けにしてみたい、煙草をすっぱすっぱと喫ってみたい、女房と寝物語がしてみたい。こう思ったんだが、ひょっとあの倒れた稲を見ると、もう刈りたくってしょうがないんだ」
こう言って起ち上がった。そのとたん、彼はうむと唸った。倒れた。顔色がさっと蒼ざめてゆき、ぐったりとすると、もうそれでおしまいだった。小銃の流弾一発。
前進ィん――
ずっと、うしろで馬がいなないた。
「隊長殿! 大山上等兵戦死」......
本書は、兵卒の死にざまの記述にほぼ終始する。そんな中、戦場の描写は、緊張感に張りつめていると想像していた。しかし、引用部分とそれに類する個所だけがそうで、全体にむしろ情緒的でどこか穏やかだ。戦線の日本兵は、一部なのかもしれないが、どこか優しい。金儲けが至上の現代の日常の方が、よほど殺伐としている、といった印象すら残る。
本書は帰還直後の昭和13年、その経験を基に書かれた。同年上半期の直木賞候補(3作)にもなった。戦後はGHQ禁書(1946~52年)に指定され、書店や図書館から没収、廃棄された。このため「幻の名作」ともいわれた。
禁書では、約7100冊が対象になったとされる。占領政策や戦前戦中の連合国の行動に批判的に言及したというのが理由だ。日中戦争、太平洋戦争での原因や史実をめぐっては各国の主張が異なる。未だに歴史として確定せずにいるのは、この禁書政策にも一因があるだろう。
評者は新聞記者として駆け出しのころ、松村さんを取材したことがある。阿波踊りの最中だった。ある小説家が地元放送局の偉いさんを訪ねてきたことを、短信にするように指示されたのだ。そのとき、80近い松村さんが「私は」ではなく「ぼくは」と話すのがとても奇異に感じられた。権力や金銭への執着がなく、放送局の社長としては質素な暮らしをしていたことも、あとで知った。
松村さんの著書はほかに『モラエスつれづれ 松村益二随筆選』(モラエス会)がある。
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