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「日本海の方で変なことが起きている」

メディアは死んでいた

 北朝鮮による日本人拉致事件を発掘し、のちに新聞協会賞を受賞したことで知られる元産経新聞記者、阿部雅美さん。一連の報道を振り返ったのが本書『メディアは死んでいた――検証 北朝鮮拉致報道』(産経新聞出版)だ。

 阿部さんは1948年生まれ。すでに同社を退いているが、OBとして2018年1月から4月にかけて産経新聞で「私の拉致取材 40年目の検証」を89回にわたって連載した。それに加筆したのが本書だ。過去にも類似本を出しているのかと思ったら、どうやら本書が拉致問題についての初の本のようだ。

「地方紙でも見てみるか」

 大きなスクープ記事を書いて新聞協会賞を取るような記者には、おそらく共通の資質があるように思う。並外れた「カン」の良さと探究心だ。まるで森の中で見えない獲物を狙うハンターのように、独特の嗅覚と執念深さで真実に迫ろうとする。阿部さんにも生来、そのような資質があったのではないかと感じる。

 きっかけは何気ない一言だった。「日本海の方で変なことが起きている」。夜回り先で、ぽろりと捜査員が呟いた。それ以上は聞けなかった。聞いても「知るか!」と怒鳴り飛ばされるのがオチだからだ。

 社会部記者として警視庁の公安部を担当していた1979年秋ごろの話だ。あまりに漠然としている。普通ならそこでおしまいだろう。だが、ここから先が、阿部さんが凡人ならざるところだ。「地方紙でも見てみるか」。近くの日比谷図書館に出かけ、日本海側の地方紙数年分を、「東奥日報」「秋田魁」と北から順に閲覧していく。ありふれた記事ばかり。「変なこと」は見つからない。諦めかけていたときに、一つだけ気になる記事が目に留まった。

 1年以上も前の「北日本新聞」(富山)の社会面。「高岡の海岸 4人組が若い男女襲う 手錠かけ寝袋覆う」。犯人たちはアベックを縛り上げ、頭から寝袋をかぶせたが、なぜかそのまま逃げたという。4人の男たちは何をしようとしたのか。

県警本部長をアポなしで訪ねる

 この事件がのちに、「拉致報道」の発端になろうとは、その時は思いもよらなかった。普通の東京の記者なら、現地の支局に電話でもして、あの事件はその後どうなっているんですか、と問い合わせるだけだろう。犯人は捕まらず、捜査は暗礁に乗り上げていた。

 ところが阿部記者は実際に現地に出向く。それもいきなり、県警本部長をアポもなく訪ねる。相手はキャリア官僚。東京で警察庁の人事情報を予め仕入れ、それを手土産に本部長室へ乗り込む。このあたり、31歳の記者としてはなかなか達者な芸当だ。おもむろに「4人組事件」のことを切り出す。

 本部長はかすかに事件のことを記憶していた。「わざわざ東京から取材に来るような事件じゃないですよ」といいながら、その場で担当部署に電話して、東京から来た記者に差し支えない範囲で話すように指示してくれた。

 担当刑事の話から、この事件の遺留品の詳細を知る。おもちゃの手錠、寝袋、サルグツワのようなものなどだ。これらは日本国内では製造も販売もされておらず、輸入品にも該当がないというのだ。奇怪だ、普通の犯罪ではない・・・公安記者として阿部さんは直感する。「外事ですかね」。刑事は否定的だった。「可能性の一つとしてはあるだろうが・・(犯人は)日本語しか話していない」。

類似事件の掘り起こしを始める

 阿部さんはあきらめなかった。ここで記者のイロハの聞き込み作業を始める。たいへんな苦労をして、現場で犯人グループと話したという釣り人や、被害者の親にたどり着く。共通する証言があった。赤銅色に日焼けして、たくましそうだった、役割分担しているように手際よく、訓練されている感じだった、何となく、日本人じゃない感じがした・・・。漁業関係者への聞き込みなどから、あの日、沖合に見かけない変な船が停泊していたという証言も得た。「すべてが1つの方向、北、を指し始めたように感じた」。

 こうして、いったんスイッチが入った阿部さんは猛然と類似事件の掘り起こしを始める。ほかにも同じようなことが起きているのではないかと思ったからだ。このあたりも特ダネ記者ならではの動物的なカンと素早い動きだ。

 日本海沿岸の警察に、片っ端から電話する。管内で若い男女が行方不明になっていないか。新潟県柏崎市でもアベック蒸発事件があったことを知る。警察は非協力的だった。海辺に近い民家、商店を手当たり次第に当たるが、成果がない。タクシーに乗るたびに、「海岸からいなくなった男女、知りませんか」と運転手に聞く。何十台目かのタクシーが、郊外の家の前で車を停めた。「ここだよ」。表札に「蓮池」とあった。

いったん編集幹部の判断でボツに

 「アベック3組謎の蒸発 (昭和)53年夏 福井、新潟、鹿児島の海岸で」「外国情報機関が関与?」「富山の誘拐未遂からわかる 外国製の遺留品 戸籍入手の目的か」

 このニュースが産経新聞朝刊の1面トップを飾ったのは80年1月7日のことだ。取材を始めてから約2か月がたっていた。拉致事件報道は、公安警察のリークをもとにしたかのように言われることがあるが、本書でも明らかなように阿部記者の地道な掘り起こしによる。そもそもこの原稿は、いったん編集幹部の判断でボツになっていたという。

 実際のところ、記事の反響はなかなか厳しいものだった。テレビや新聞はどこも無視した。産経の社会部長が、国会で取り上げるように自民党の大物議員に要請に行ったが、けんもほろろに拒絶された。2か月以上たってようやく国会で論議されたが、警察庁の刑事局長の答弁は「富山の事件と他の3つの間に関連性があるという客観的な証拠は実は何もない」。警察がこの調子なのだから各社とも黙殺したということだろう。産経の社内でも、「他社はどこも後追いしないじゃないか」という厳しい声があったという。

 こうして拉致報道は、「氷河期」に入る。この時期に阿部記者が他社の記事で記憶しているのは、85年の朝日新聞記事だけ。編集委員が「相次ぐ日本人拉致事件 北朝鮮工作員が暗躍か 旅券取得に戸籍取り」と大きく取り上げていた。感激したという。

決定的な局面を見逃す

 本書が「メディアは死んでいた」というタイトルを付けているのは、新聞やテレビが長年、拉致報道に及び腰だったというだけではない。決定的な局面を見逃しているのだ。それは88年3月26日のことだ。国会で共産党の橋本敦議員がこの問題を取り上げ、警察庁の警備局長が答えている。「諸般の状況から考えますと、拉致された疑いがあるのではないかというふうに考えております」。さらに梶山静六国家公安委員長が「おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と答えている。

 拉致について一度も公式に言及してこなかった政府、警察が初めて北朝鮮による日本人拉致疑惑の存在を認めた決定的な瞬間だった。しかし、各社の反応は鈍かった。産経は29行、日経は12行。いずれもベタ記事で他社はなし。阿部さん自身、すでに社会部を離れていたこともあり、自社の記事に気づかなかったという。こうして拉致についての政府の次のアクションは97年の横田めぐみさん拉致疑惑発覚後まで先送りされる。

 本書はこのように自戒を込めつつ長年の取材を振り返る。読売、朝日、NHKの報道ぶりについてもいろいろと書かれており、関係者には興味深いだろう。本を書く過程では、朝日や共同通信のOBからは「北朝鮮はそんなこと(日本人拉致)はしない、と言い続けた(当時の社内の)○○らに筆誅を加えてほしい」という無理な注文もあったという。

 興味深いのは「ウィキペディア」をめぐるくだりだ。ネット時代、ウィキペディアを参照する人は少なくないが、本書の中で阿部さんは、拉致事件については事実と違うことが書かれていると注意を促している。

 最初にポロリと「日本海の方で変なことが起きている」と漏らした捜査員とはその後、会っていない、という。そこだけはホントかな、という気がちょっとした。

  • 書名 メディアは死んでいた
  • サブタイトル検証 北朝鮮拉致報道
  • 監修・編集・著者名阿部 雅美 著
  • 出版社名産経新聞出版
  • 出版年月日2018年5月23日
  • 定価本体1400円+税
  • 判型・ページ数四六判・289ページ
  • ISBN9784819113397
 

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