お墓が一般にも普及したのは江戸時代からだという。本書『墓石が語る江戸時代ーー大名・庶民の墓事情』は2001年から全国約3万の墓の実地調査を続けてきた関根達人・弘前大学人文社会科学部教授の労作だ。災害や飢饉の犠牲者数を推しはかることができるなど、墓石の持つ学術的意義を強調している。
江戸時代は文献資料が豊富に残るので、歴史学の世界で、墓の研究は余り進んでなかったという。お寺に行けば過去帳もある。ところがこの過去帳が近年、研究者といえどもなかなか見せてもらえなくなった。著者が墓石の研究に注力するようになったのは、そうしたことも影響しているようだ。
江戸時代には、庶民の墓はまだ少なかったという説も一部ではある。本当のところはどうなのか。全国各地の墓を調べる中で、同じ傾向が分かった。確かに江戸初期は少なかったが、中期に進むにつれ急速に増えている。青森県黒石市の場合、江戸後期には墓石の保有率は6割に達していた。古墳を軸にして「古墳時代」という区分があるが、江戸時代は「墓石時代」でもあり、墓も身近な歴史史料のひとつだと主張する。
墓石からは大別して二つのことがわかる。刻まれた文字情報と、墓石の大きさ、形、石材などの非文字情報だ。死亡の年月日は、個々の死者についてはさしたる歴史的な価値がなくても、何百、何千と集まれば別の意味を見いだせる。戒名からは被葬者の社会的な階層などを読み取ることができる。
江戸時代に墓が普及した理由として著者は、家業の世襲などによる直系世帯の形成、儒教思想による祖先祭祀の浸透、寺壇制度の確立など6つを挙げている。
本書でとくに刮目すべきは、墓石に刻まれた死亡年月日から集合的な情報を見出した点だろう。飢餓・疫病・地震・大規模火災などの歴史に残る災害の実態を検証している。
著者は青森の弘前藩と北海道の松前藩の墓石の数と被供養者数を調べ、飢饉や疫病の年に被葬者が増えていることを突き止めている。興味深いのは、天明の飢饉の際の被供養者数だ。弘前では平常年の4.8倍だったが、松前では2.6倍にとどまっていた。米をもっぱら領外から輸入していた松前藩の方が、飢饉の被害が少なかった。
また、これは過去帳でのデータだが、江戸時代に三大飢餓に次ぐと言われた宝暦の飢餓についての調査も興味深い。弘前藩の公式報告書では、餓死者が出なかったとされていた。ところが、実際には多数の犠牲者が出ていたことがわかった。こうした「隠蔽」は他藩でも見られるという。正直に報告した藩が、逆に幕府から「お咎め」を受けたケースも報告されている。
著者は本書で、江戸時代のみならず、古代から最近の墓事情まで、幅広く紹介している。「ペット墓」は江戸時代にはすでに出現していたという。犬、猫、馬など。殿さまの愛馬の墓では「墓誌」が残されているものもある。
現地調査は夏休みを利用して学生たちと出かけた。暑い中、蚊にも食われて苦労したそうだ。墓石の表面が苔むしていることも多いので、調査にはブラシや高照度の懐中電灯が必須だ。墓に刻まれた文字を読み取るには、片栗粉が有効だという。そうした地道な知恵によるフィールドワークが、研究成果として結実している。
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