「魂のピアニスト」として知られるフジコ・ヘミングさんが、戦争直後の少女時代に書き綴っていた絵日記が見つかった。それをもとに単行本にしたのが『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』(暮しの手帖社)だ。
1946年(昭和21年)7月から9月にかけての日常が書きとめられている。画才も相当なものだ。単行本では新たなインタビューや、写真なども添えられている。フジコ・ファンのみならず、今ピアノを習っている同世代の女の子たちにとっては、とりわけ興味津々、貴重な一冊と言えるだろう。
良く知られているように、フジコさんは数奇な人生を送った人だ。母親は1920年代に、ドイツにピアノ留学し、そこでロシア系スウェーデン人の画家と恋に落ちて結婚、フジコさんが生まれる。父は日本で英字新聞に風刺画を描いたりしていたが、そのうち戦争が起きて、フジコさんが5歳の時、祖国に帰される。「必ず、迎えに来る」といい残し、何度か国際電話があった。そのたびに弟と受話器を取り合ったが、二度と会うことはなかった。母は日本でコツコツとピアノ教師をしながら子供たちを育てた。
「ハーフ」でもいじめにあわない学校ということで、小学校は青山学院初等部に入る。戦争末期は岡山の女学校に疎開した。やらされたのは、勉強よりも軍事教練。「なぎなたで敵のハラワタを抉り取る方法」などという授業もあったそうだ。
戦争が終わって青山学院の中等部に戻る。渋谷の借家は空襲で焼けたので、吉祥寺方面にある叔母の家に厄介になった。日記はそのころのことを書いている。
何でも配給。砂糖がないからサッカリン。昼も夜も食卓に上がるのは、庭で作ったジャガイモや南瓜やとうもろこし。アイスクリームを食べたいと思うが、今では空しいこと。着るものは下着から母の手作りだった。水虫に悩まされ、痛くて眠れない日が続いた。
いまから考えると、信じられないような少女時代だが、さて当時の日記に、のちに人気ピアニストとなる片鱗があったかどうか。そこでなるべくピアノに関するところを拾ってみると、「ピアノの練習は毎日やりました」。疎開中は満足に練習できなかったので指が思うように動かないが、「サボると母が怖いので、欠かさずピアノの前に座りました」などという記述が目に留まる。
母親は必ずしもフジコさんをピアニストにしようとは思っていなかったが、音楽家になってほしいと考えていたようだ。ところが、たまたま父の友人で、世界的なピアニストで指揮者でもあったレオニード・クロイツァーの知己を得て事情が違ってくる。クロイツァーはベルリン音楽大学教授を経て東京音楽学校(東京芸大)で教えていた。フジコの演奏を聴いて「世界的なピアニストになれる」とほれ込んだのだ。直々に異例の個人レッスンを受けるようになる。
そのころの様子も書き込まれている。気に入らない演奏をすると、「私の指ください!」とか「私の指どうぞ!」と片言の日本語で雷が落ちる。「私の指」というのは、魅力あふれる指運びということだ。そうしてフジコさんのピアニストの卵としての人生が孵化し始める。
だが、その後の歩みは順風ではなかった。16歳の時に中耳炎と風邪をこじらせて右耳の聴力を失い、28歳でようやくドイツに渡り、35歳でウィーンでのリサイタルの直前、また風邪をこじらせて今度は左耳も聴力を失った。のちに40パーセントほど回復したが、欧州でピアノ教師として何とか生活できるようになったのは40歳すぎてからだった。
飛べない鳩の赤ちゃんを拾ってきて家で飼っていたことがある。ピアノを弾いていたらその鳩が踊りだした。鳩には私のピアノがわかるんだ! 救われた気がしたという。泥沼の日々の中で、「私の出番は、たとえこの世にはなくても、天国にはあるだろう」。そう信じて生きていたという。
だが、運命の女神はフジコさんに微笑んだ。1999年、NHKのドキュメンタリーでとりあげられ、一夜にして「時の人」になったのだ。
フジコさんは、クロイツァーに習ってよかったのは「歌うように弾きなさい」と言われたことだという。譜面どおりではなく歌っているように弾く。「私のピアノが他の人と違うとしたら、それはクロイツァーのおかげだと思います」。
本書は少女時代の絵日記だが、随所にフジコさんの自由奔放な感性がのぞく。「自分らしさ」にこだわって生きてきたことが、のちに芸術家のオリジナリティに結びついたことが推測できる。
少女時代の回想記では、黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』がミリオンセラーになった。J-CASTでは澤地久枝さんの『14歳〈フォーティーン〉満州開拓村からの帰還』や、西村京太郎さんの『十五歳の戦争――陸軍幼年学校「最後の生徒」』なども紹介している。それぞれに後年、何事かを成し遂げるであろう萌芽がうかがえる。
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