日本のラーメンの起源が語られるときに、必ずといっていいほど引き合いに出される人物は水戸黄門こと徳川光圀(1628~1701)だ。儒教の教えを乞うために水戸藩に招いた中国人の学者が作り方を伝授。藩主の光圀は日本で初めてラーメンを味わったとされる。テレビ番組では、当時のものと考えられるレシピで黄門さまのラーメンが再現されたりもしている。
現代ではラーメンは「国民食」の一つに数えられるようになり、日本人の食生活から切り離せない存在。なぜ中国生まれのこの料理が日本食を代表するような存在になったのか。本書『ラーメンの歴史学』(明石書店)は、古代中国との交流までさかのぼり歴史や文化の変化をつぶさにみながらそのプロセスをひもといたものだが詳しく文献にあたるほど、黄門さまラーメン起源説は考えられないことが明らかになる。
著者は米国出身の英ケンブリッジ大学日本学科准教授。プリンストン大学で博士号を取得、米国務省で東アジア課などに勤務した経験を持つ。ケンブリッジ大では日本の近現代史を研究しており、その理解のための手段として15年以上前から「日本と西洋におけるラーメンの歴史」を研究している。
日本の庶民がラーメンを口にするようになってから100年に満たないと思われるが、本書は古代日本の麺のルーツから始まる。そして、江戸時代の蕎麦ブームなどの食文化について深く掘り下げ、明治・大正時代に人気となりラーメンの原型となった「支那ソバ」を探り、戦後のインスタントラーメンの開発へと展開していく。
このラーメン叙事詩ともいえるような論文の前半、第4章に「江戸時代の食文化とラーメン伝説」というパートを設け、黄門さまラーメン起源説の真偽の確認を試みている。当時、儒教伝授のため徳川光圀が水戸藩に招いたのは朱舜水。満州族による清王朝の専制支配に抗して亡命した明の学者の一人だ。伝説によれば、舜水はラーメンの作り方を水戸藩に教え、光圀はラーメンを食べた初めての日本人になったという。
「光圀は日記に蕎麦を食べたとは書いているが、蕎麦とラーメンはまるで違う」と著者は指摘。また、知識人である舜水が料理を教えることなど考えられないとも。「中国の官吏たちが食文化を愛でたのは事実だが、おそらく朱舜水自身に料理の経験はなかっただろう。料理はもっと下層の者がする仕事だった。それよりも舜水の頭の中には、『儀礼』や『仁』、あるいは新たな儒教思想の研究などで一杯だったはずだ」。著者はまた、当時の中国の王朝社会の状況から、舜水のような人物が調理指導に時間を割くことなどありそうもないことと加えている。
著者は大学卒業後にはシカゴで高校教師をしていたが、25歳のときに初めて来日し岩手県の漁村で英語指導助手を務めた。地元の食事になかなかなじめなかったが、知人に連れて行かれた店で初めてラーメンを食べて、そのおいしさに衝撃を受けたという。以来、ラーメンへの興味が深まり探究に励む一方、日本語の習得に努める。そして資料を集め、50人以上の関係者にインタビューして仕上げたのが本書だ。
著者の調べによると、現在のラーメンの原型といえるメニューが飲食店で供されるようになるのは明治末から大正初めにかけて。系譜的に正統とみられるものの誕生をめぐっては複数の説があり、いずれもラーメン発祥を主張するそれなりの理由があるという。
一つは、1910年(明治43年)に東京・浅草に開店した「来々軒」。横浜税関を退職した男性が始め、支那ソバのほかワンタンやシューマイを出していた。43年まで営業していたという。ほかに発祥の店とされるのは、1922年(大正11年)からメニューに中華料理を加えたという札幌の竹家食堂。料理人経験があるとう北海道帝国大学の中国人留学生を雇ってから支那ソバが人気メニューになった。
もう一つは、福島・喜多方に25年(大正14年)に開店したラーメン店「源来軒」。浙江省出身の潘欽星が屋台から起こしたものだ。喜多方はラーメンの街として知られるようになったが、日本でラーメン店が増えた背景に地域性をウリにするなどのマーケティングがあり、その意味で、この店をカウントすべきという。
著者は、現代のラーメンを導いたものとして、これらの店を発祥とすることについて「どれももっともらしく筋が通っており、ある意味ではすべてが本当なのかもしれない。あるいは、全部合わせると真のルーツが明らかになるかもしれない」と述べている。
店や屋台、出前で食べるものだったラーメンだったが、戦後しばらくすると、家庭でも食べるメニューになる。復興が進み、日本が国際社会に復帰しつつあった1958年、日清食品の創業者である安藤百福がインスタントラーメンの製造法を編み出し「チキンラーメン」を世に送りだしたものだ。
安藤は当時の厚生省栄養課長から、米国の余剰小麦粉を使った商品を開発してはどうかと勧められる。占領下、同省では日本人に余剰小麦粉を使った食事を奨励していたが、パンやビスケットに限定されることに安藤は不満を持っていたという。なぜ、日本人が好む麺類を粉食に入れないのか―。そうした経緯があり課長から提案が持ち込まれたのだった。
本書では、これもまた、日本で生まれ世界で食べられるようになったインスタントラーメンについても、開発の背景、誕生までのプロセス、その人気ぶりについて詳細に述べられている。
来月から始まるNHKの朝ドラ「まんぷく」は、インスタントラーメンの生みの親である安藤百福と妻の半生がモデルの物語。本書はその予習にも最適な一冊。
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