没後70年の今年(2018年)、東京・三鷹市美術ギャラリーで特別展「太宰治 三鷹とともに」が開かれるなど、生誕100年の09年以来、太宰治にふたたび関心が集まっている。09年に『太宰治選集』(全3巻)を出した札幌の出版社、柏艪舎から太宰の全随想など124編を収めた『心の王者 太宰治随想集』が発行された。
3部構成になっており、Ⅰは短い随想が99編、Ⅱは序文・跋文が22編、Ⅲは亡くなる直前に連載した「如是我聞」など3編が収録されている。
太宰の小説をいまだに文庫本で買い求めることが出来るのは、古本以外ではほとんど入手不可能な同時代の作家を思えば、恵まれたことと言えよう。しかし、随筆となると、なかなかアクセスする機会が難しかった。
太宰が「如是我聞」で当時、「文学の神様」と呼ばれた志賀直哉にかみついたことは文学史の「事件」としては有名だが、今回その中身を初めて読み、驚いた。とにかく過激なのだ。いくつか引用しよう。
ある「老大家」は、私の作品をとぼけていていやだと言っているそうだが、その「老大家」の作品は、何だ。正直を誇っているのか。何を誇っているのか。その「老大家」は、たいへん男振りが自慢らしく、いつかその人の選集を開いてみたら、ものの見事に横顔のお写真、しかもいささかも照れていない。まるで無神経な人だと思った。
志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。小説が、もし、絵だとするならば、その人の発表しているものは、書である、と知人も言っていたが、あの「立派さ」みたいなものは、つまり、あの人のうぬぼれに過ぎない。腕力の自信に過ぎない。本質的な「不良性」あるいは、「道楽者」を私はその人の作品に感じるだけである。高貴性とは、弱いものである。へどもどまごつき、赤面しがちのものである。所詮あの人は、成金に過ぎない。
おまえはいったい、貴族だと思っているのか。ブルジョアでさえないじゃないか。おまえの弟に対して、おまえがどんな態度をとったか、よかれあしかれ、てんで書けないじゃないか。家内中が、流行性感冒にかかったことなど一大事の如く書いて、それが作家の本道だと信じて疑わないおまえの馬面がみっともない。
「新潮」に連載していたが、1948年6月13日、玉川上水に入水自殺。連載は中断した。死を覚悟していたから好き放題書いたのか。しかし、連載は数か月にわたっているから、文学的信念を賭けたものとも理解できる。今なら編集部の判断でボツになるかもしれない。当時の文壇の状況を知る上で参考になる。
「川端康成へ」と題した短文も異常だ。「小鳥を飼い、舞踏を見るのがそんなに立派なのか。刺す。そうも思った。大悪党だと思った。(中略)ただ私は残念なのだ。川端康成の、さりげなさそうに装って、装い切れなかった嘘が、残念でならないのだ」(1935年 「文藝通信」)。第1回芥川賞選考にまつわる確執が根底にある。川端が選評で「作者目下の生活に厭な雲ありて」と太宰を批判していたのだ。
小説においては十重二十重の仮面をかぶり、技巧をつくした太宰だが、随筆には人間性がもろに出ている。もちろんここに引用した罵倒ばかりではない。タイトルの「心の王者」とは、「陸の王者」を歌うと共に、ひそかに「心の王者」を以て自認しなければなりません、と慶應の学生に「三田新聞」(1940年)で呼びかけたものである。太宰の知られざる風貌がところどころにのぞき、読んでいてあきない。
太宰に関して本欄では読売新聞の名物文芸記者、鵜飼哲夫さんが書いた『三つの空白 太宰治の誕生』(白水社)を紹介した。
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