人は、なぜマンガを読むのか? 子どもは、なぜマンガに夢中になるのか? それが本書『マンガの「超」リアリズム』(花伝社)の問題意識だ。
ようするに、日本のマンガ人気について論じた本だ。類書はいろいろあるだろう。本書がちょっと変わっているのは著者の紙屋高雪さんの経歴だ。
1970年生まれ、京都大学法学部卒。別に「京大卒」が珍しいというのではない。評者の周辺でも東大や京大出身で、漫画オタクは少なくない。変わっているのは「コミュニスト」を自称していることだ。
紙屋さんはこれまでに『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(築地書館、2007年)、『超訳マルクス―ブラック企業と闘った大先輩の言葉』(かもがわ出版、2013年)なども出している。自身のブログ「紙屋研究所」でも、「とあるコミュニストによる漫画評・書評です」と自己紹介している。
今どき死語に近いコミュニスト。それに固執するのは、相当のめり込んだ時期があるからだろう。『オタクコミュニスト超絶マンガ評論』では「普段は普通のサラリーマン+まじめな共産主義者だが、ひとたび漫画を見つけると、漫画評論家に変身」と紹介されている。
本書は民主教育研究所の「人間と教育」という雑誌の連載「マンガばっかり読んでちゃいけません!」を加筆・補正して単行本にしたものだと記されている。そのことから考えると、著者はおそらく「民主青年」が多く集まる組織の関係者なのだろう(間違っていたらすみません)。
「コミュニスト」でありながら「マンガオタク」。この両義性の視点から本書を眺めると、なるほどと思うところが多々ある。
たとえば「はだしのゲン」について。世間では「反戦マンガ」として高く評価されている作品であり、著者もそのことについて真っ向から異議をはさむわけではない(コミュニストなので)。関西圏の大学生への調査によると、「戦争というと思い浮かぶ作品」として実に50%の学生が「ゲン」を挙げているそうだ。他作品を大きく引き離している。この圧倒的な「ゲン」の存在感はどこから来るのか。
紙屋さんは「一言でいえば、この作品の生々しさ」、もっと言えば「気持ち悪い」「グロイ」ということだと指摘する。「ホラーマンガと同じような気持ちで、小学生のころは読んでいました」という大学生の声を紹介し、「気持ち悪い」「グロイ」ということで、この作品は「リアルを獲得している」と見る(ここはマンガオタクとして)。
そうした視点は3億冊を発行したという超人気マンガ「ONE PIECE」についても通じる。なぜ売れるのか。世間では「つながり」や「きずな」を強調する声が多い。コミュニストとしては、同意すべきなのかもしれない。しかし、紙屋さんは「オタク」として、この作品は形を変えた「任侠マンガ」と認定する。読者の9割が大人ということがそうした見方を補強する。
このほか多数の作品を俎上に上げるが、「コミュニスト」と「マンガオタク」という二つの視点が揺れ動く。そこが類書と違う、へそ曲がりな面白さということになるだろう。
関係者にはすでに知られたことなのだろうが、本書にはいくつかのデータも紹介されている。マンガ大国日本でマンガ家はざっと1万人。そのうちメシが食えているのは1000人程度だそうだ。多くが「ワーキング・プア」。徹夜続きで時間給でいえば最低賃金を下回ると指摘し、根本的な解決策を模索する。(このあたりはコミュニスト)
マンガの発表媒体としては、ネットのウエートが高まっている。電車の中でも、スマホやタブレットで読んでいる人は多いが、女性向けのエロマンガには300万以上のダウンロードを誇っている作品があるそうだ。こっそり見ている女性が多いということになる。「なぜ女性向けエロマンガで強姦シーンがあるのか」という考察もされている。(このあたりは「民主青年」から外れる)
本書の出発点となっている疑問は、「なぜ絵本を読むことはすすめられるのに、マンガはダメなのか」。とうぜんながら、紙屋さんは大いに不満だ。さらに「漫画は子どもの読み物」という世間の常識にも反発、「すぐれたマンガは常に多様で重層的な読みの可能性を開き、大人も子どもも楽しめるものになっている」ということを強調する。絵本ではそうしたことの研究が進んでいるが、マンガはこれからだという。紙屋さんが掘り下げたいテーマに違いない。
たしかに、すでに本欄でも紹介したが、水木しげるさんの『総員玉砕せり』などは、大人も深読みができる作品だ。いや大人がまず読むべき作品だろう。「コミュニスト」であり「オタク」でもあるという二重性を持つ著者には、これからも単純なマンガ評論家の視点を超えた複眼的な論評を期待したい。
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