翻訳書を手に取ると、しばしば憂鬱な気分になる。訳書をとおして、原典のどこまで理解できているか、不安になるからだ。
もちろんそれは、訳が悪いということではない。原典を書いた著者と、それを翻訳で読む自分との文化的、歴史的なギャップを感じるからだ。
かつて灘高・東大法学部を卒業した知人から聞いたことがある。国際法のゼミで、有名教授に習ったが、先生との力量差を痛感したと。学生も英語の文献を読んで表面的には理解できる。しかし、法律用語の一語一語に込められた深い文化的、歴史的な意味を踏まえて理解できているかどうか。先生との違いを知ったというのだ。
本書『反共感論』(白揚社)で似たようなギャップを感じた。日本では概ね「善」とされている「共感」について、著者のポール・ブルーム氏は手厳しく批判する。世間で無条件に肯定されている共感にもとづく考え方が、実は公正を欠く政策から人種差別まで、社会のさまざまな問題を生み出しているというのだ。共感は「反共感」「反感」と背中合わせとみる。
「共感」すなわち「反共感」。「般若心経」風に言えば、「共感即是反感」。まるで「禅問答」のような謎めいた問いかけだ。普通の日本人にはなかなかわかりづらい。
それは多民族社会に生きて、常にそれぞれの属性や文化、歴史、伝統の違いを意識し、目配りせざるを得ない米国のインテリ層ならではの発想かもしれない。たとえば白人警官が黒人を射殺する。黒人は犠牲者の側に立って白人を糾弾するが、白人は、白人警官の日ごろの困難な仕事ぶりに同情する。「共感」は立場で異なり、一様ではない。ブルーム氏は名門、イェール大学心理学教授。これまでに『ジャスト・ベイビー:赤ちゃんが教えてくれる善悪の起源』などの訳書が日本でも出ている。
もちろんこの考え方が米国でも全面的に支持されたわけではない。翻訳を担当した高橋洋さんの「あとがき」によると、米国のアマゾンでも「一つ星から五つ星まで評価がかなり均等に分布した」という。しかしながら「日本ではこの分布がさらに評価が低いほうにずれても不思議ではないかもしれない」と、日本と米国で、本書の受け止め方が異なる可能性を予想する。
著者は、本書の「要点」をまとめ、次のように語る。
「共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なりえない人々の苦難に対して盲目にする」
「つまり共感は偏向しており、郷党性や人種差別をもたらす・・・身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な要因になる」
なかなか鋭い分析だ。米国でも多くの議論を巻き起こしただけある。日本の論壇でもたぶん注目されるのではないか。本書は先日、全国紙の一面の目立つところに書籍広告として出ていたし、アマゾンの社会心理学部門では早くもトップだ。
ちなみに「共感」とは英語でempathyと言うそうだ。sympathyと似ているが、違っていて区別がつきにくい単語らしい。原題は「AGAINST EMPATHY」。副題は「The Case for Rational Compassion」となっている。ちなみにCompassionも似た意味だ。ネットを見ると、empathy、sympathy、compassionの違いを聖書にまでさかのぼって解説している人もいる。やはり日本人読者には難物ということだろう。語源に文化、歴史、それに宗教まで絡むというわけだ。本書の翻訳自体はこなれており、読みやすい。訳者の「あとがき」は特にわかりやすく、ネット社会にも触れて示唆に富んでいる。
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